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「…なんだか変な感じがするけど、ファーストキスまで、あの一族にくれてやるつもりはなくてね。」 恐らく、何をされたのか全く理解できていないのだろう。惚けたように立ち尽くす速水に、僕は薄く笑って言った。 「でも、ファーストキスがサンドイッチの味だなんて思わなかったな。」 芝村舞は、約束の時間から十五分遅れて待ち合わせ場所の校門前へやってきた。顔をゆでダコのように上気させ、行進の出来損ないのようにぎくしゃくと歩いて来る姿が遠目でもよく分かる。 速水の協力によって芝村にラブレターを渡した後、『計画』はとても順調であった。 男に全く免疫の無い芝村の末姫様は、偽りの美辞麗句で固めたラブレターの文面にコロリと騙された。恐らく芝村は自分が彼女に好意を持っていると信じて全く疑っていないだろう。そして今日は二人の楽しい『初デート』という訳だ。順調。芝村一族への足掛かりが出来るのもそう遠い日ではないだろう。 ──しかし、それにしても。 「お前、普通制服で来るかぁ?」 僕は自分の目の前に立つ芝村を見、思わず眉をひそめた。彼女は、普段学校で会う時と少しも変らない小隊の制服姿だったのだ。 なんとなく自尊心を傷つけられた気がする。彼女は僕に夢中のはずだ。僕とのデートのために彼女が着飾るのはいわば当然で、よりにもよって制服でのこのこ現れるなど言語道断ではないか。 そもそも、遅刻して来たことも許し難い。芝村の方が僕より十五分早く来て待っているといると言うのが筋だろう。 「いや、その何だ……」 緊張した面持ちのままで、芝村はもごもごと気まずそうに口ごもった。普段は理路整然、小憎らしい位に堂々と御高説を語る芝村が、たかだが恋愛関係の事となると別人のようになる。そこに付け込まれているとも知らずに、馬鹿な女だ。 「わ、私とて努力をした。デ、デデデェトなるものに相応しい服装を、と。」 「それで?」 「だ、だが、私はこの様な事には慣れておらぬ。どれもこれも、相応しいような気もすれば、相応しくないような気もし──」 「つまり、結局服が決められなかったと。遅刻したのもそのせい?」 芝村はうつむくと、やがてこっくりと頷いた。馬鹿だ。 僕は努めて甘い笑顔を作った。 「何を着て行くのが相応しいかなんて、考えなくても良かったのに。芝村はきっと何を着てもよく似合うと思うよ。」 「う……」 芝村の顔がこれ以上ない程に、さらに赤く染まった。 「そ、そんな……そうか……?」 上目使いにこちらを伺う彼女の表情は、照れながらもとても嬉しげだ。 すっかり舞い上がっている。甘い作り笑いの下で、僕は嘲笑していた。小さくて、昏い、それでも確かな満足感が身体中を駆け巡った。快感だった。 「それじゃあ、そろそろ行こうか?」 「う、うむ。」 快感の余韻に酔いしれながら、僕は歩き出す。声をひっくり返らせた芝村が隣に続いた。 「でも、なんでよりによって制服にしたの?」 ふと何気なしに、僕は彼女に訊ねた。 「……せ、制服姿の私ならそなたも普段見慣れているであろう? ならば、少なくとも普段よりヘンになることはなかろうし、そなたが好きだと言ってくれたのは制服姿の私なのだから、き、嫌われる事もなかろうと……思っ……て……」 最後の方の言葉は消え入りそうなものだった。 「わ、笑うなら笑うがいい。」 彼女は視線を所在無さ気に彷徨わせた。ひどく、頼り無さ気な表情。自信家で、高飛車で、傲慢で。本当に、普段の芝村舞は一体今何処へ消えてしまっているのだろう。 僕は何故だか急に腹立たしくなった。今度は、あまり満足感がやって来なかった。 手を握る位のサービスはしてやろうと、僕は相変わらず壊れたロボットのように歩く芝村の手を取った。彼女はさらに身をかたくしたが、それをふりほどこうとはしなかった。 思っていたより、随分華奢な手だった。 目的地は『映画館』だった。典型的なデートスポット。学校推薦のご健全映画ではなく、ここで作り出される薄闇を目的にしたアベック達が多数訪れていて、映画館はある種の異様な雰囲気に包まれていた。まるで、その雰囲気に気付くまいとするように、芝村は食い入るように視線をスクリーン一点に注ぎ、身じろぎ一つしないままでいる。こっちの顔も見やしない。 「芝村、」 せっかくの『初デート』。芝村一族の信用を得るためにせいぜい利用させてもらう。僕は、芝村に呼び掛けた。 「む、何だ?」 「映画、そんなに面白い? 僕の事を無視する程。」 「そ、そういう訳では……」 「じゃ、こっち向く。」 ぐき。僕は両手の平で彼女の顔を挟むと、無理矢理にこちらを向かせた。薄闇の中でも、互いの顔がはっきり見える程の至近距離。 「ひっ。」 悲鳴のような声を上げた芝村は、小さく首をすくめる。耳の辺りまで顔を紅潮させているのだろう、熱い程の体温が僕の手の平を伝わった。 「なななな、なぬを!?」 面白い程、愚直で分かりやすい反応。 「嫌?」 こうなったら徹底的にいじめてやろう。僕はさらに彼女に顔を近付け、そう訊いてやった。 「あ……い、いい嫌ではないがそのあのそのあうえ……」 パニック状態に落ち入る寸前であろう芝村は、意味の分からない言葉を口にしながら椅子の背もたれに頭を後退させ、僕と距離をとろうとする。僕は愉快で堪らなかった。笑いを噛み殺しながら、また笑顔を作る。 「じゃあ、顔背けないでくれない? 結構傷付くんだけど。 僕の顔、変かな?」 「………。」 思惑通り芝村の抵抗は止んだが、出来うるかぎり首をひねり、依然として僕の顔を見ようとはしない。まさか本当に『変だ』などと言うつもりじゃないだろうな。何様のつもりで? 僕が苛立って来た頃、ようやく芝村が口を開いた。 「そ、そなたは変ではない。そなたは……綺麗な顔をしていると、私は思うぞ……うむ。」 当然だろ。 「ありがとう、嬉しいよ。それなら、こっちを向いてくれるね?」 「で、でも……」 芝村は再び僕の視線をはずした。この後に及んで、何を四の五の言う気なのだろう。笑顔を保ったまま、僕は呆れ返った。 「……私は、へ、ヘンだ。」 「は?」 唐突に彼女がそう言ったので、僕の笑顔は一瞬解けた。 「私の顔はヘンだ。……だから、そそそそんなに近づいたらヘンな所が分かってしまうではないか!」 「はあ……。」 「私は後悔しておる! 普段と同じなら普段以下にはならぬと思ったが、逆にそれは普段以上にもならぬということ。不覚だった……。」 よく分からない理屈。予想外の言葉。 何と言ったら良いか分からない。辛うじて笑顔を立て直す努力はする。 そんな僕の苦心をよそに、彼女は急に僕の方をしっかり向く。僕の顔をきっと見据えた。 「つ、次は普段とは違うものを着てこよう!」 言うやいなや、彼女はぎゅっと目をつぶり、心なしか顔を上向けた。 『この』展開は計算通りではあったが──。 「……それにしても。」 彼女に見えないのを良い事に、僕は溜め息をついた。 もう少し色気のある雰囲気を出せないものなのだろうか、この女は。せっかくこっちが誘導してやったものをあっさりまぜっ返す。 おまけに表情にしたって──。僕は芝村の顔を見て吹き出しそうになった。眉間にしわを寄せ、何もここまでというぐらいきつく瞳を閉じている。歯も食いしばっているらしい。まるで、そう。苦手の注射を待つ子供のような表情。おまけに映画の光が点滅して映り、顔がまだらになっているのもさらにおかしい。 「確かに、ヘンだな。」 小さく震えるその唇に自分のそれを近付けながら、彼女の顔を観察し、僕は笑みを浮かべた。苦笑ではあるが嘲笑ではない、心からの笑みを。 瞬間、僕はとんでもないことに気が付いた。 自分の鼓動の音が、ばくばくと、大きく、速くなっている事に。 「な、な、な。」 先程までの芝村のように僕は狼狽した。 なんだ。これは。愕然とする。何をこんな女とのキスごときに動揺しているんだ僕は。そんな馬鹿なことってあるか。 一体、この動揺は何を意味しているというのだろう。考えたく無い。僕は、復讐のためなら何だってできると思っていたし、事実何だってやってきたのだから。常に、平静で。 僕と芝村は『恋人同士』だ。ここで何もしないのはあからさまにおかしい。第一この場面へ持って来たのはそもそも僕である。 僕は無理矢理、心臓の音を無視する事にした。そのままの体制で、彼女に唇を重ねる。気付きたくも無かった。僕も固く目を閉じて、注射待ちの子供の表情になってる事なんて。 二度目のキスはほのかに石鹸の香りがした。 |