似たもの同士




時刻は朝。宿舎に戻ろうと町中を歩いていた時だった。
「アドル」
呼び止められ、振り向いたそこにはレインが居た。
「ああ、レイン。何か用か?」
アドルがそう尋ねると、レインは軽く首を横に振る。
「用ってわけでもないけど……。調子はどう?」
「んー……大丈夫。元気だよ」
答えると、レインは推し量るようにこちらを見つめる。しばらくそうしていると、おもむろにアドルの頬へ手をあて顔を近づけてきた。アドルは特に抵抗する素振りも見せず、目の前のレインの顔を眺める。
「……隈、出来てる。また徹夜?」
「あー……」
「アドル」
咎めるような口調に、アドルは観念したように肩をすくめた。
「ああ、徹夜したよ。でも大丈夫、このまま遺跡には行かないから」
「嘘」
「嘘じゃないって。信用ないなぁ」
「信用をなくすような事をしたのはアドルの方」
言われた言葉に苦笑する。確かにその通りだ。
アドルは少し前、遺跡で倒れるという事件を起こしている。倒れた原因は寝不足と空腹だと知ったレインは、気が済むまでアドルをどつき回したものだ。
あの時は偶然通りかかったジェシカとアッシュとパスカのおかげで何とかなったものの、あのままでは確実に死んでいただろう。運が良かったのだ。
「アドルは弱いんだから、体調くらいはちゃんとしてないとダメ」
「弱いって……酷ぇ」
「事実でしょう。腕相撲で私に勝った事ある?」
「……ないです」
若干うなだれながら答えると、何だか情けない気分に陥る。
「毎日毎日本を読んでいるだけだから体力なんかつく筈もない。おまけに小食な上に食事を摂り忘れる。これで寝不足で遺跡に入るのなら倒れる事を前提に潜っているとしか思えない。アドル、本当に何でカルスに来たの?死ぬつもりなの?」
「真顔で嫌な事聞くなよ……」
「そのくらいアドルの行動が危なっかしいって事」
「……実に嫌な場面に遭遇しちゃいましたねぇ……。何でしょうこの光景。この世の地獄ですか?」
不意に乱入した声に驚き、視線を向ける。その声の主が誰かを認識した瞬間、口から無意識に「げ」と声が漏れた。
「……オルフェウスだ」
一方のレインは無感情に彼の名を口にする。
金糸のような髪に色白の肌。いつものように微笑を浮かべ、オルフェウスはそこに居た。
「こんにちは、レインさん。今日も美しいですね」
「こんにちは、オルフェウス。今日も心にもない事言ってるね」
レインの切り返しにもオルフェウスはくじけた様子はない。
「心にもないなんてとんでもない!ぼくはただ事実を述べているだけですよ。この世のものとは思えない美しさです。君との出会いを毎日神に感謝しているくらい、君は本当に美しい」
「美しさはともかく、私もオルフェウスと会えた事は感謝してる。毎日面白いし」
確かにレインにとってオルフェウスは面白い存在なのだろう。
「つーか、目の前で人の姉貴口説くなうっとうしい」
アドルにとっては違うが。
「おや、居たんですか」
今気付いたとでも言いたげに、やっとアドルに顔を向けるオルフェウス。その目は若干じっとりとしている気がする。
「居たよ。あんまりレインの周りをうろちょろすんな。目障りだ」
「君シスコンなんですか?救いようがないなぁ」
「いや別にレインが誰と付き合おうが関係ないけど、お前だけは絶対嫌だって話だよ」
この男と義理とはいえ兄弟になる。それだけは何としても避けたいのだ。
とは言うものの、アドルはレインがオルフェウスを異性として見ているとは思っていない。レインとオルフェウスが付き合う、などといった事態になる確立は低いと見ているが、こうして目の前で口説かれると釘も刺しておきたくなるのだ。
「奇遇ですね。ぼくも君が嫌いですし、レインさんの弟だという事実が受け入れられません」
「あ、そ。じゃそろそろ諦めろ」
「まぁぼくも結婚にこだわっているわけではありませんし、レインさんと付き合っていても君が弟になるという事態は避けられるでしょう」
「……ああそうですか」
これ以上は何を言っても無駄だと悟り、アドルは適当に返事を返す。
「……2人とも仲がいいね」
「どこが!」
微笑みながら放たれたレインの言葉に即座に突っ込むと、くすくすと笑い返される。
レインはわざと言っているのだ。性質が悪い。我が姉ながら性格が悪いと思う。
「仲が良いのは君達2人の方ですよね。本当に仲が良い」
「そうかぁ?」
自分ではよく分からない。悪い方ではないと思うが、良いかと聞かれれば首を捻る。アドルとしてはそんな仲だと思っている。
「ええ。まさか町中でキスしようとする程とは思っていませんでしたが」
「は……?」
さらりと言い放たれた言葉に一瞬思考回路が停止する。この男は今何と言った?
「……キス?」
一方のレインは首を傾げ、呟く。
「あれですか、禁断の姉弟愛ってやつですか?嫌だなぁ、ライバルが弟だなんて」
「お前何言ってんの?」
「この期に及んでとぼける気ですか?」
何を言っているのか分からない。戸惑いレインに視線をやると、彼女も困惑しているようだった。
「私も分からない。オルフェウス、何を言っているの?」
「レインさんまで……。やはり知られたくない事だったのか……」
物悲しそうな顔で言われても分からないものは分からない。
このままでは埒が明かない。オルフェウスが何を言いたいのかを知る為、アドルは頭の中で情報を整理し始めた。
キーワードは「キス」「姉弟愛」「ライバルは弟」
この言葉を繋ぎ合わせて浮かぶものは簡単な答えだ。簡単だが、あまり気持ちの良い答えではない。
つまるところ、オルフェウスは自分とレインが男女の仲だと思っているのか。ありえない。寒気がする。
レインの事は嫌いではない、好きだ。だがそれはあくまで姉としてであり、そういう目で見た事などないのだ。生まれてこの方ずっと一緒に居る相手であり、自信の半身である彼女にそんな目を向けるなど異常だ。
沈んだ気分に陥りながらも、思考を進める。
問題なのは何故オルフェウスがそういう結論に至ったか、だ。
町中でキスしようとする程、とオルフェウスは言った。無論そんな事実はなく、心当たりもある筈が、
「あ」
……あった。
思い出す。オルフェウスが声をかけてきたあの時、自分達はどういう体勢でいたのかを。
レインの手は自分の頬へ。顔は触れそうな程に近付いて。
……確かに、キスしようとしていたと見られても仕方がないような気もしないでもない。しかし自分達は姉弟であり、そういう関係だと思うのはちょっと思考が飛躍してやいないか。
「……オルフェウス、ありゃキス未遂の現場じゃない。単にレインが俺の顔色を見ていただけだ」
釈然としない思いを抱えつつも、アドルはそう告げる。誤解は解かねばなるまい。
「言い訳ですか?」
「違うっての。マジだって。大体俺達がキスなんかするわけないだろ、気持ち悪い」
オルフェウスは訝しげにアドルを見つめる。
「……まぁいいでしょう。信じます、その言葉。例え嘘でもレインさんの心を奪ってみせますし、君に負ける気もしません」
……本当に納得したのかこの男。
勘違いが続行している可能性が高い。しかし、これ以上追求するのも面倒なのでやめておく。疲れそうだ。
「……オルフェウスも変な勘違いするね」
呆れた色を滲ませ、レインが呟く。
先ほどのやり取りでオルフェウスが何を言いたいのか悟ったのだろう。
「君への愛故、ですよ」
にっこりと微笑みそう言うオルフェウスに呆れる。
「まぁいいや。アドル、今日は遺跡行っちゃダメ。寝てなさい」
「ん、分かってる。流石に今ので疲れたしなー、ゆっくり休むよ。レインの今日の予定は?」
「遺跡。今から行くの」
言いながら、腰に下げた短剣を見せる。
「誰か誘えよ。一人じゃ危ない」
「うん。……じゃあ、オルフェウス。一緒に行こう」
「ええ、分かりました」
「……ちょっと待てぇっ!」
あまりの事に思わずツッコむ。
「何でそこで当たり前のようにオルフェウスを誘うんだよ!俺そいつ嫌いって言っただろ!?」
大声でまくしたてると、レインはそれはそれは不思議そうに、
「だって、近くに居るし」
あっさりと言う。
「そりゃ近くだけど!近くだけどさ!」
レインにはオルフェウスと親しくなって欲しくない。こんな腹の立つ男と姉がどうして仲良くならればいけないのだ。
「そういうアドルの反応も面白いし」
「はぁ!?」
つまり何か、彼女がオルフェウスと仲良くする一因は自分にあるとでも言うのか。どこまで性格が悪いのだろう、この姉は。
「それに」
レインは言葉を続ける。
「オルフェウスと一緒に居ると面白いし」
絶句した。
なんだその答えは。彼女自身がオルフェウスと居るのを楽しんでいるのならば、自分には何も止める権利などない。
「……ぼくの勝ち、ですね」
オルフェウスが文字通り勝ち誇る。いつから勝ち負けの問題になったのかなんて聞いてはいけない。
がっくりと地面に膝が落ちる。
アドルは、負けたのだ。
「ささ、行きましょレインさん」
「え、うん」
レインはアドルを気にしている様子だったが、結局はオルフェウスに連れられその場を後にした。
残ったのは敗者のみ。一陣の風が通り抜けた。
「……あれ、アドルじゃん。何やってんのこんな所で」
そう声をかけられ、顔を上げる。
そこには不思議そうな顔をしたジェシカが立っていた。
「……あ、ああ。何、やってんだろうな、俺」
ははは、と乾いた笑い声が漏れる。酷く虚しい。
「ジェシカこそ何やってんだ?この時間に起きてるなんて珍しい」
疑問を口にすると、ジェシカは少しむっとしたようだった。
「あたしだってたまには早起きするよ」
「え、ああ、ごめん」
「って、単に今まで遺跡に潜ってただけなんだけど。今から宿舎に帰るとこ」
なるほど、と納得する。
「ていうかあんた相変わらず顔色悪すぎ。ちゃんと寝たの?」
言いながら、顔を覗き込まれる。
「いや、今から寝る所」
「ここで?……って、んなわけないか。あたしが言えた事じゃないけどさ、あんたもうちょっと自分の身体の事考えた方がいいよ。また遺跡で倒れたらどうすんのよ」
「ああ、気をつけるよ、っと」
立ち上がり、ぱんぱんと膝を払う。少し、眩暈がした。
「あー……マズい、くらくらする。とっとと帰って寝よ……」
目頭を押さえ、ふらふらと歩き出す。
「大丈夫?」
ジェシカも後に続く。
「あんま大丈夫じゃない……」
「また倒れるのだけはやめてよね。あの時は本当心臓止まるかと思ったんだから」
今思い出してもぞっとする。倒れるのは勝手だが、それを発見する者の気持ちも考えて欲しい。あの時は本当に、アドルが死んでいるのかと思った。
「んー、努力します」
だが当の本人はそんな気のない返事しかしない。
レインも大変だと思う。これが肉親なのだ、気の休まる暇もありはしないだろう。
アドルとレインは正反対の性格をしているとジェシカは思う。双子といっても似ていない事もあるのだと知った。
「……でも、あんたとレインって似てる所もあるよね」
「は?」
不意に呟かれた言葉に、アドルは驚き立ち止まる。何故いきなりレインの話になるのだろう。
「ちょっと思っただけなんだけど、そっくりな所あると思ってさ」
「そうか?」
そっくりと言われる程似ている所などあるだろうか。アドル自身、自分とレインは似ているとは思わないし、誰にも似ているなどと言われた事などない。
「うん。変なもんに入れ込むとこ、似てるよ」
「変なもんって何だよ」
「あんたはアレ、モンスターに夢中でしょ」
「ああ。でも別に変じゃないだろ」
あんなに面白い生き物に興味を持たない方がおかしい、とアドルは思う。
しかしジェシカは呆れたようなジト目で、
「あたしは理解出来ない。レインの方も」
「レインは別に変なもんに入れ込んでないと思うが」
少なくともアドルの知る範囲では思い当たる節はない。
「めちゃくちゃ入れ込んでるじゃん」
「何に?」
「オルフェウス」
沈黙する。
確かに変なものだし、レインは興味を持っているだろう。だが、入れ込むと言う程なのか。
「この間も2人で酒場に居たし」
「マジで!?」
あの男と2人きりなど何と恐ろしい。顔が青ざめているのが自分でもはっきりと分かった。
レインはオルフェウスを異性として見ていない。それは今でもそう思うのだ。
たが、本気であろうとなかろうと、オルフェウスはレインを口説き続けている。それはレインとオルフェウスが共に居る間ずっと続き、2人が共に居る時間は多いのだろう。ならば、レインがほだされる可能性も高くなる。
「やだなぁ……。俺あいつと義兄弟になっちゃうのかなぁ……」
「……あんたも大変よねぇ」
心底嫌そうに呟いた言葉に、ジェシカは同情を禁じえないようだった。
「けどアレじゃない?お互い様ってやつ」
「何がだ?」
「あんたもレインに相当心配かけてるんだしさ、おあいこじゃん」
心配の種類がかなり違うが、ジェシカの言葉も一理あるかもしれない。
「ま、そういう所も含めて、似たもの姉弟って事なんじゃない?」
……それはつまり、人に心配させる事が特技の姉弟だと言いたいのだろうか。
否定したい。思いっきり否定したいが、彼はその為の言葉も、根拠も、持ち合わせてはいなかった。
「……そんな姉弟、嫌すぎる」
だから口にできたのは、そんな感想とも呟きともつかぬ一言だけだった。



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