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おひめさまはついにけっしんしました。みんなのめをみていいます。 「わたしはきめました。わたしは」 ―――だってそんなの同じ事だろう? 先日の星読みによる発表に島民は動揺し、かつてないほどの混乱が島を襲っている。 特に騎士院はその対処に大忙しだというのに、アークときたらいつもより早く起床してくる他の騎士達よりも遥かに早く布団を抜け出し、町へと向かったのである。 あとでリュートに怒られるな、とぼんやりと思いながらアークは走る。今度こそは愛想をつかされても仕方がないと思う。しかし一方で笑って許してくれるかもしれないとも思った。 どちらに転ぼうともそれは未来の話であり、今のアークには全く関係のない事だったので思考を打ち切り、ただ走る事に専念する。 そして、目的の場所へ到着した。 何度か浅く呼吸を繰り返し、その場に座り込む。 当然の事ながらそこはまだ営業しておらず、しばらく待たなければならない事を知る。辺りはまだ薄暗く、すぐに店が開くとは考えられなかった。何も考えずに部屋を出た事を少しだけ後悔する。 まだ宵から覚めていない町の空気は冷たく、吐き出す息は白かった。石畳はひんやりとしており、更に寒さを増長させる。汗で服が肌にべったりと張り付き不快だった。風邪をひいてしまうかもしれない。 それでも、アークは待った。 よくよく考えてみるとこの混乱のさなかに店を開くだろうかと不安に思う。店の者は神殿や騎士院へ行っているかもしれない。 騎士院も大変だが、神殿の方はもっと大変だろう。島民への対処もそうだが、星読みが退役したのだ。神殿にも動揺している者が多いと聞く。 そして、星の娘候補の一人が行方不明になった。しかも行方不明になった少女はおそらく、星の娘だった。荒れに荒れた冬の海に落ち、奇跡の生還を果たした。他にも様々な奇跡を起こしたの聞く。 神をその身に宿す少女が行方知れずなのだ。最後に目撃された海岸を中心に神殿も騎士院も魔法院も必死になってその行方を捜しているが、進展はない。なにせ手がかりが無きに等しいのだ。 だけど、それでもアークはここで待っている。 今この時でなくてもいいと、自分でも思う。叱られても仕方がないと思う。それでも待つ。 思い出す。優しく響くリュートの声。普段はあまり好まない話。場景を思い浮かべ、そっと耳を傾けていた。 あの物語の最後は、どうなっただろうか。 その時、かちりと音がした。 ゆっくりと扉が開き、老人が顔を出した。そしてそこに人が座り込んでいる事に驚き、それが青年だと知ると更に驚き、騎士だと知ると訝しげな顔を作り、階級が紫紺だと知ると疑惑の目を向ける。 無理もないな、と思う。こんな朝っぱらから本屋が開くのを待っていたのだ。それも騎士が。何か言われるかと思ったが、店主と思しき老人は何も言わず、店へと引っ込んだ。 店へ入っていいものか少し悩んだが、扉から柔らかな光が漏れ出ているのを見、結局入ることにした。 扉が軋んだ音をたて、古めかしい紙の匂いが鼻腔をくすぐる。老人はカウンターで本を読んでおり、入ってきたアークを一瞥するとまた視線を本へと戻す。店内は淡いランプの光で照らされており、薄暗かった。 本棚へ近づき、目当ての本を探す。老人に尋ねてみようかとも思ったのだが、何となく気が引け、自分で探すことにした。子供用の絵本コーナーを探す。 見つけたそこは、明るい原色で彩られた表紙が溢れていた。少しだけ臆すが、気力を持ち直し本を探す。シリウス辺りに見つかれば一生からかわれそうな姿だと思った。 そして、一際乙女チックな色彩を使われた目当ての絵本を見つける。「虹の橋」。そう書いてある。女の子が好みそうなふわふわのドレスを着た少女が描かれていた。間違いない。これだ。 それを手に取り、カウンターへと持っていく。老人はアークの持ってきた本を見、次いでアークの顔を見、 「……あんた、これを買う為に待ってたのか?」 少しだけ言葉につまるが、結局真実を口にする。 「ああ、まあな」 老人は更に質問を重ねる。 「娘さんがいるのか?」 「そんな歳に見えるか?」 「見えん」 「別に子供がいない男が買っちゃならない理由はないだろう?いくらだ」 老人は納得したようには見えなかったが、結局それ以上は質問をする事はなく、本は無事にアークのものになった。 「……変わっとるのう、騎士さん」 しみじみと呟かれた言葉に苦笑する。全くもってその通りなのだが、そうはっきり言われるとそれはそれで悔しい。 「ああ、変わってるよ、じゃあな、じいさん」 結局そんな言葉を口にして、アークは店を後にした。 空には太陽が昇り始めており、辺りは白く染まっている。 さて、何処で読もうか。町で読むのは避けたい。誰に見つかるのか分かったものではないから。海もダメだ。星の娘候補の捜索が行われているから。 とすると、森か。あそこは普段からあまり人が寄り付かないし、何より静かだ。 そう決めると、アークは森へと向かった。 朝の森は少し肌寒い。朝露に濡れる地面に座るのは少しだけ戸惑ったが、今更そんな事を気にしても仕方がないと結論づける。座り心地は悪いのも仕方がない。仕方がないったら仕方がないのだ。 仕方がないと思い込んでも不快な事には変わりがない。沈んだ気分になりながらも、そっと絵本を開く。虹の橋。あるおひめさまの話。 ずっと昔に聞いた物語が、そこにはあった。 いつもは少年向けの冒険物語を買ってもらうのに、母親が「たまにはこういうのも読みなさい」と言って無理矢理買った少女向けの絵本。案の定アークは興味を示さず、本棚の肥やしになった絵本。 そのページをめくったのは、アークの指ではなかった。 いつものようにリュートが家に遊びに来て、その絵本を発見した。アークは慌ててそれを取り上げようとした。そんな本を持っている事がバレたらからかわれると思ったのだ。しかしリュートは何故か興味を持ち、読んでもいいかと尋ねた。 アークは驚いた。そんな本を読みたがる奴が居るとは思わなかった。しかしリュートが読みたがるのなら面白い話なのかもしれないと考え、朗読してもらう事にした。 アークはいつもリュートに本を読んでもらっているのだ。字が読めないわけではないが、リュートに読んでもらうのが好きだった。読み方が上手いのか、自分が読んだ時よりも数倍面白く感じられるのだ。 いつものようにリュートは床に絵本を広げ、アークはベッドへ腰掛けて、絵本の中の世界へと旅立った。 それは、こんな話だった。 とある国にひとりのお姫様が居た。そのお姫様はいつもひとりで孤独だった。国の皆は自分を慕ってくれるけれど、それは『私』ではなく『お姫様』を慕っているだけだった。 誰も本当の自分を見てくれない。そんな思春期じみた悩みを持った彼女はある日、お城を抜け出した。町へ行くつもりだったのに、何故か森へ迷い込んでしまった。不安になりながらも森を歩き続けたお姫様は、谷へとたどり着いた。 その谷の景色はとても綺麗で、お姫様は感動した。そして思った『この谷の向こうはどうなっているんだろう。この谷の向こうでなら、私は私として生きられるかもしれない』と。しかしそこには橋などなかったので、お姫様はただ谷の向こうを羨望の眼差しで見つめるしかなかった。 その時突然雨が降り、お姫様は慌てて木の下に駆け込んだ。どうしていきなり雨が降り出したのか不思議に思いながらも、雨が止むのを待つ。 やがて雨は止み、谷には大きな虹が出来ていた。お姫様は木陰から出て虹を見、不思議な事に気が付いた。虹は、そこに存在していた。透明な、透き通る不確かな存在でなくて、しっかりと地面に突き刺さり、虹はそこにあった。向こう岸まで続く橋のように存在していたのだ。 お姫様は恐る恐る足を虹に乗せてみると、しっかりと踏みしめられた。それは虹の橋だった。新天地へと続く、七色に輝く橋だった。 お姫様は少しだけ臆したが、結局は好奇心が勝った。この谷の向こうでなら、私は私として生きられるかもしれない。だから、行こう。 決心し、足を踏み出す。決心してしまえば後は簡単なものだった。ただ歩けばいい。迷いはない。足取り軽く虹を渡りきり、そっと地面に足を下ろすと虹は消え去ってしまった。 お姫様は一目散に駆け出した。自分は自由だ。自由なのだ。王族とか姫とか関係なく、自分は自分でいられる。縛られる事なく生きていける。それがたまらなく嬉しくて、歓声を上げた。 しばらく歩くと村を見つけた。お姫様が住んでいた町よりずっとずっと小さな村。そこには動物の姿をした人たちが暮らしていた。犬、猫、狸、狐……。それ以外にも様々な姿をした者たちが居た。 その人たちはお姫様を歓迎し、しばらくこの村に居てはどうかと言ってくれた。お姫様はとても喜び、その通りにした。 それは、とても楽しい時だった。 皆優しかった。皆、お姫様が誰なのか知らなかった。過去を詮索される事もなかった。ただ幸せを享受する事が出来た。 夢のようだった。求めていたものがそこにはあった。 皆とも随分仲良くなった。 犬の姿をしたポチはいつも天真爛漫で、お姫様を笑顔にしてくれた。猫の姿をしたタマは気まぐれでワガママで、だけど困った時にはいつも助けてくれた。狸の姿をしたポンタはのんびり屋で、お姫様がパニックに陥ると焦らなくてもいいと言ってくれた。狐の姿をしたコンタは悪戯好きでよく化かされたけれど、どこか憎めなかった。 そうして数日を過ごしたある日、村の皆が深刻な顔をしてお姫様の元へとやって来た。どうしたのかと尋ねると、ポチがとんでもない事を言い出した。 「貴方の国へとお帰りください、お姫様」 お姫様はとてもとても驚いた。自分が姫である事は誰にも知られていない筈なのに、どうして。 聞くと、谷に虹の橋がまた出来たらしい。そこを渡った村の者が町へと辿り着き、とんでもない騒ぎを知った。 即ち、お姫様の行方不明。 その姫の人相書きを見て仰天した。自分が住んでいる村にある日ふらりとやって来た、あの少女ではないか! 慌てて村へと取って返し、こうしてお姫様の元へとやってきたのだ。 「皆心配していました。どうか、どうか虹の橋が消える前にお帰りください」 お姫様は悲しくなった。 だって、やっと自分として生きていける場所を見つけたのに。今まで自分を自分として見ていてくれていた人たちが、お姫様としてしか見てくれなくなってしまった。 悲しくて悲しくて、涙がこぼれた。 その涙に驚き、慌てて皆は言う。 皆君の事が嫌いになったわけじゃない。皆君の事が大好きだよ、と。 だけどそれは君の国の人たちも一緒だから。国の人たちも君の事が大好きだから。大好きな人が居なくなったら悲しいから。だから、帰って。君の居るべき場所へと。 それでも、お姫様は納得できなかった。 国の人たちが自分の事を好きだなんて嘘だ。私の事を好きなのではなく、『お姫様』が居なくなると困るから、だから騒いでいるだけだ。私はここに居たい。ずっとここで暮らしていきたい。 皆は首を振る。それはできない、ダメだよと。 生まれた時から決まっている、それは出来ない。貴方はこんな所に居るべき人じゃない。お姫様としてしか好かれなくて、それが何だというのか。人に好かれるという事は素晴らしい事だ。あれだけの人たちに好かれ、それでも貴方は不満だと言うのか。 お姫様は返す言葉が見つからず、俯いた。 皆は更に続ける。 それに大丈夫。お姫様じゃない君を、僕らは大好きだから。ずっと大好きでいるから。だから安心していい。本当の君は、ここでずっと愛され続ける。 驚いて顔を上げたお姫様の目に映ったものは、優しく微笑む皆の顔。大好きな、この村のひとたち。 その顔を見て、お姫様は何故だか「もういいんだ」と思えた。 もう、願いは叶ったのだ。 お姫様は決心した。皆の目を見て言う。 私は決めました、私は 「……どうしたの?アーク」 不満気な顔をしていたのがリュートにバレた。 「……納得いかねぇ」 そう呟くと、リュートは不思議そうに尋ねる。 「何が?」 「その話だよ。納得いかない」 「納得いかないって、何が?まだ最後まで読んでないけど」 「最後まで読まなくたって納得いかない。何だよその話」 ひたすらに「納得いかない」と言い続け、不機嫌そうなアークにリュートは戸惑う。ここまで読んでも特におかしな話だとは思わなかった。一体何が不満なのか分からない。 アークはアークで疑問を感じないリュートに苛立ち、しかし明確な言葉で不満を表せない自分に焦っていた。 「だって、だってさ、そんなの同じ事だろう?」 やっと出てきた言葉を、しかしリュートは理解出来ない。 「同じ……って?」 「帰っても、帰らなくても、同じじゃん」 「……何が?」 「帰っても、帰らなくても、どっちかは姫に会えなくなるんだろ?だったらどっちを選んでも同じ事だ」 「同じって事はないと思うけど……」 「どっちを選んでもどっちかは不幸になる。俺は納得できない」 「……でも」 「でも?」 「でも、どっちか選ばなくちゃならない。もしアークがこのお姫様の立場だったらどうする?どっちを選ぶ?」 その質問にアークは驚いた。何しろこの物語のお姫様のような悩みを持った事がないので、想像のしようがないのだ。 悩んだ挙句、アークはこのような結論を下した。 「それは分かんないけどさ、もしオレがこの村の住民だったら絶対に帰らせないと思う」 リュートは「それは答えになってないよ」と苦笑した。 結局2人は絵本の続きを読む事を放棄し、別の遊びに興じた。 だからアークはあの物語がどうなったのか知らない。 おひめさまはついにけっしんしました。みんなのめをみていいます。 「わたしはきめました。わたしは」 その続きは、アークの手の中にある。 私は決めました、私は 「アーク!こんな所に居たのか!」 「うわっ」 いきなりすぎる声に驚き、思わず絵本を落としてしまう。 慌てて振り向き、そこに立つ人物の名を口にした。 長く綺麗な髪を高い位置で結い上げ、奇妙な服を身に纏った異邦人。 「あ、葵……」 「この非常時にサボりおって!リュートが探していたぞ!」 「悪かった、すぐ戻る」 「当たり前じゃ!まったく、アクア殿が行方不明だというのに、おぬしは一体何をやっておるのだ」 アクア。魔法院に在籍していた不思議な少女。 多分、彼女が星の娘だった。他の星の娘候補達にはない、不思議な空気を纏っていた。人の世にそぐわない、まるで何かの間違いで存在していたような、そんな空気を。 「……ん?アーク、その本は何じゃ?」 葵に言われ、自分の手の中にある本を見つめる。 アクアは虹の橋を渡ったのだと、アークは思う。あるべき場所へと帰って行ったのではないのかと。 「……おぬしに似合わぬ本じゃのう……」 覗き込むようにして、葵はぺらぺらと本をめくる。 私は決めました、私は その続きが知りたかった。 だけど。 「……欲しいか?」 「え?」 「欲しいならやるよ」 ほら、と本を差し出す。 「だ、だが、いいのか?まだ読んでいたのではないのか?」 「いいんだ、別に」 葵はしばらくは悩んでいたようだったが、やがておずおずと本を受け取った。 「……ありがとう」 微笑む葵を見て思う。 続きなんてどうでもよかった。 「……なぁ、葵」 「ん?何じゃ?」 アクアは虹の橋を渡った。あるべき場所へと帰り、結果大勢の人たちを悲しませている。 それはひとつの選択だ。 だが、それでも願わずにはいられない。 「お前は、虹の橋を渡らないよな」 葵は、その選択肢を選ばないで欲しいと。 「……そのような怪しげなもの、渡らぬ」 怪訝な顔で放たれた言葉。 「どうだか。目の前に現れたら案外ふらふら渡ろうとするんじゃないのか?」 「む。……だが、おぬしの言う事も当たっておるかもしれぬのう。珍しい故、渡ってしまうかもしれぬ」 いい加減な、と苦笑する。 だがそれでもいい。自分の考えは今も変わっていないのだから。 もし今目の前に虹の橋が現れて、葵が渡ろうとしたならば、 「絶対止めてやるから安心しな」 |