理由




「いつかまた会おう。ありえない事だけど、そういう事にしておこう」
そう言い、彼は去った。
残ったのは後悔だけだ。
彼が居なくなり、姿が見えなくなり、声も聞けず、その温もりを感じる事が出来ない。
その事がむしょうに悲しく思えた時、愕然とした。自分はそんなに弱い女だったろうか。
恐らくはそうなのだろう。
ただその事に気付くのが遅すぎて。その気持ちの名を知らなくて。
けれどあの時、どうすればよかった?
間違いを犯して欲しくなかった。逃げる事は卑怯だと思った。
……自分の前から、消えてほしくなかった。
紅い影が、思考の隅を横切った。
だから銃口を向けた。引き金を引けない事を、自分は知っていたと思う。
それでも。何かに急かされて。
震える指が引き金を引き、結局彼は去ってしまった。
恋の意味を知るのと引き換えに、彼を失くしたあの日からもう2年が経とうとしていた。




葵は並木の下をゆったりとした足取りで歩いていた。
高い位置で縛った髪がゆらゆらと揺れる。
「暑いのう……」
もう9月に入ったとは言え、まだ暑さが冷める事はないだろう。
葵はこの熱気が、決して嫌いではなかった。
この島に来た季節だ。嫌いなわけがない。
望んでやって来たわけではない。それでも葵はこの島が好きだった。
帰りたい、と思う気持ちももちろんある。
だがそれとは別に、このままここに居続けるのも悪くはない、そう思う自分も居た。
友達も大勢出来たし、職に就く事も出来た。
何よりも……。
(もう2年か……)
今でも思い出す。
誰よりもふざけた態度をし、誰よりも恋だの愛だのを口にし、しかしそれを決して信じておらず、誰よりも孤独だった男の事を。
いつか会おう、と彼は言った。
その日は来るのだろうか。
ありえないだろう、と葵は思う。
アロランディアとダリスの関係は、日に日に悪くなると聞く。
分かっている。もう彼と会う事は二度と出来ないだろう。
だがそれでも会えると信じたい。
自嘲する。
ありもしない事を信じるのは、愚かな事だ。
けれど彼女はあの日に思い知ったのだ。
恋は愚かなものなのだと。
だから、愚かでもいいから、信じさせて欲しかった。
もう一度会えると。




風が吹く。
ざわざわと木がざわめき、葉が飛んでいく。
飛ぶ葉を視界の端で追い、そして彼女はそこに信じられないものを見た。
「………」
「久しぶり、葵殿」
何事も無かったかの様に、2年前と同じ様に。
シリウスはそこに立っていた。
「あれ?反応無し?もっしもーし」
「な、な、な、な、な」
ぱくぱくと口を動かすが、うまく声が出ない。
一度息を吸い込み、呼吸を整える。
「な、何故こんな所におぬしがおるのじゃ!?」
「え〜〜?居ちゃいけないのかい?」
「別にいけなくはないが……」
むしろ嬉しい。
ものすごく嬉しいのだが……。
「ならいいじゃない。問題無し」
「どこがじゃ!!」
先にも述べた通り、アロランディアとダリスの関係は悪い。
ダリスの人間……しかも王子がアロランディアに居るとはどういう事なのか。
「アロランディアに謝りに来たんだよ」
「あ、謝る?」
「そう」
「……2年前の事をか?」
「それ以外にないでしょう」
にこにこと笑いながら、シリウスは言う。
「まあすぐには無理だろうけど、私の魅力には誰も逆らえない。絶対に仲直りしてみせるさ」
「事の元凶がよく言いおる」
くすくすと笑う葵を、シリウスは眩しそうに見つめる。
「……変わってないね」
「おぬしこそ」
時が戻ったようだ、と葵は思う。
2年前、彼と出会った頃に。
「そうじゃ、これを返さねばな」
ふと思い出し、懐から銃を取り出した。
シリウスは驚いた表情を見せる。
「これ、まだ持ってたの?」
「ああ」
それは葵にとって、お守りの様な物だった。
いつも手放さず、持ち歩いていたのだ。
「懐かしいな」
「おぬしに返す為に捨てずにおいた。護身にもなってなかなかに便利だったぞ。それがないと、ボビー殿が持ちにくいのだろう?」
銃をシリウスに渡す。
ずしりとした重みが無くなり、少しだけ寂しい気がした。
「……また会えるのかも分からなかったのに?」
「そうだな。だが、私は信じていた。再び会える時が来ると」
「最後にもう会えないような事を言ったのに?」
「おぬしはまた会おう、と言った。それを信じていてはいかんか?」
「いや……、悪くない。だけど愚かだね」
「自覚しておる」
苦笑しながら答える葵に、シリウスは優しい笑みを向けている。
唐突に、シリウスが引き金を引いた。
ひらひらと花びらが舞う。
「綺麗じゃな」
あの時、引き金を引いたのは自分だった。
シリウスが引き金を引く時が来るなんて、思ってもみなかった。
「やっぱり魔法は好きになれないし、本当はあの時もう一度この島に来るつもりなんてなかった」
シリウスは語る。遠くを見つめて。
「ならば何故、もう一度来る気になったのだ?」
そう言い、シリウスに顔を向け、



唇を奪われた。



風が吹く。
花びらを奪い去り、海の彼方の大陸へ向かっていく。
けれど、葵もシリウスもそんな事はどうでもよかった。
葵は突然の事に頭が真っ白になる。
何も、考えられない。
「な、ななななな」
「君に会いに来たんだよ」
柔らかな笑み。
あの頃の彼からは考えられないような。
葵の顔はゆでダコの様に真っ赤で、シリウスはくすくすと笑い続けていた。


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