ゆにゆに





最初に思ったのは、やっとここまで来たのかという奇妙な思い。感情は無い。
達成感や緊張感、その他もろもろの感情など何も湧かなかった。
ただ彼女に会いたい。その一心でここまで来たのに。


何の感情も湧かなかった、というのは彼にとっても驚きだった。
足を一歩踏み出し、さくりと足跡を刻み込む。



(やっとあの日に還れる)



さくり、さくりという足音が耳障りだった。



(彼女に、会える)



彼の心に深く根付く痛みの源。
その痛みが何なのか彼は知らない、知りたくない。
或いはそれを知る為に還るのかもしれないと思い、口元を歪める。
強く目を閉じ、それでも歩き続けた。


さくり。

さくり。


瞬間、空気が変わった。










「……こころん?」
呆然としながら、それでも彼は言葉を絞り出した。
「なぁに?ゆに」
彼女はにこやかな笑顔で応える。その笑顔が目の前にある事が信じられなかった。
「本当に、本当にこころんなの?」
喉がからからに渇いていて、うまく喋れない。
「もう何言ってるのよ、ゆに。私が冬川こころ以外の誰かに見える?」
「ぶ、無事だったの!?こころん!!」
「?」
「こころ」
悟がこころの肩を叩き、何かを耳打ちした。
「あ、そっか。すっかり忘れてた」
改めてゆにを眺め、そして、
「ゆ〜〜にぃ〜〜〜〜!!!」
「うわぁ!!」
あの飛行機の中でした様に、彼に抱きついた。
「痛い!!痛いよこころん!!」
その腕の中でもがき、何とか抜け出そうとするがそれは叶わない。
なおも強く抱きしめられ、ただ彼女の甘い匂いがするのみとなる。
不意にあの事故の記憶が蘇る。
こころはあの時、自分を信じてくれと言った。
何度も何度も。
彼女だって不安でない筈などないのに、それでもゆにを助けようと懸命になっていた。
涙が溢れた。
飛行機から脱出して、そこで見た光景は多分一生忘れられない。
歩いて、歩いて、そして辿りついた場所。スフィア。
彼女もここに来れば助かると思ったのに、見つからなくて。
そこに居た青年がいきなり「自分が冬川こころだ」と言い出す始末だ。おまけにワケの分からぬ事態が起こり出す。
不安定になるな、と言う方が無理だったのだ。
それでも何とか精神を保っていられたのは、こころの言葉のおかげだと思う。
「絶対に守る」。その言葉。
何が起こっても正義の味方の様にいつでも助けに来てくれるのだと、半ば本気で信じていた。
「ど、どうしたの?ゆに?ごめんね、そんなに痛かった?」
「……え?」
気付けばこころが心配そうにゆにの顔を覗き込んでいた。
「ほら、男の子なんだからもう泣かないの」
そう言って、ごしごしと涙を拭いてくれた。
「……こころん」
ぽつりと彼女の名を呼ぶ。
「なあに?」
彼女は笑顔で応えてくれた。
たったそれだけの事で彼は勇気づけられるのだ。
「ありがとう」
「え?」
きょとんとする彼女に、更に言う。
「守ってくれて、ありがとう」
「私は何もしてないよ」
「ううん、してくれた。こころんが居なかったらぼくは生きてなかったと思う」
「…………」
こころは複雑な表情をし、それでも微笑んでいた。
彼女の笑顔は太陽の様だ、とふと思う。
「だから今度はきっと、」
例えるなら自分は月か。
太陽の光が無ければ輝けぬ、夜の主。
「ぼくがこころんを守る」
「ゆにが私を?」
「うん」
始めはきょとんとしていた彼女だったが、みるみるうちにその顔は満面の笑みに変わる。
「本当?」
「うん」
「本当に本当?」
「本当に本当」
「ゆ〜〜にぃ〜〜〜〜!!!」
「うわぁ!!!」
本日二度目の抱擁。
コレを見た事の無い悟、カーリー、穂鳥はあんぐりと口を開け呆然とそれを眺めていた。
ゆには嬉しかった。
こころも嬉しかった。
だけど。




ゆにはこころとそれから一年間会う事が出来なかった。






長かったとも思う。
短かったとも思う。
たった1年の年月はゆにの内面を確実に変えた。
いい変化だったろうか。
悪い変化だったろうか。
それは彼自身にはよく分からない事だ。
ただ思う事。
彼女を助けたい。それだけだった。
あの時の約束を果たすために。
彼女を守る為に。



そっと瞳を開け、脳に景色を焼き付けた。
忘れえぬ光景が目の前に広がっている。



2011年1月11日の雪山。




赤倉岳が。





あとがき

ゆには誘い受けだと思います。


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