M.Q.I エピローグ


「……さて、荷物はそろそろ運び終わりそうかい?」
「え、ええ……あとちょっとだと思います……」
 早朝。
 シリウスは大勢の部下達を引き連れて港にやって来ていた。その中には勿論リュートの姿もあって、シリウスの問いかけに非常に疲れた顔で答える。
「……というかシリウス様、一体アロランディアでいくら使ったんですか?どういうお金の使い方をすればこんなに荷物が増えるんですか……」
 げっそりとした様子でリュートが問えば、シリウスは心外だと言いたげな様子で自らの顎に指を添える。
「別に、私自身がそんなに買い物をしたわけではないよ。ただ、ご婦人方やお偉いさんから色々な贈り物を頂いてね、その分だけ荷物が増えてしまったのではないかな」
「ニンキモノハツライネー!」
 ……ボビーを持ち出された事で、リュートの疲労は更に溜まってしまったようだった。疲れきった顔に愛想笑いを浮かべるが、ただただ痛々しいだけである。
「……でも、良かったんですか?」
「ん?何がだい?」
 パクパクとボビーの口を動かしながら、桟橋に腰掛けたシリウスは首を傾げる。
「マリンさんやアクアさんや葵さんに何も伝えずに帰国するなんて……本当に良いんですか?」
「良いよ」
 即答された事に驚いたのか、リュートは少しだけ瞳を見開いた。
「マリン殿は昨日結婚したばかりの新婚だし、アクア殿も葵殿も昨日の今日で疲れているだろうし。わざわざ伝える必要はないだろう?無駄に疲れさせるだけだ」
「……そうですか」
「何か言いたそうだね?」
 シリウスが腕を下ろせばボビーの服も力なく下がる。間抜けな顔が青い布に遮られ、シリウスの手首が海風に晒された。
「……シリウス様は、それで良かったんですか?」
「良いって、さっき言っただろう?」
 艶やかな白銀の髪が宙に舞う。普段から己の事を『美形』だと言ってはばからないシリウスだが、こうして改めて彼の姿を見てみれば、それが単なるナルシズムから出た言葉ではない事が理解出来る。客観的に見ても、彼は類稀なる美貌の持ち主だ。30手前だとはとても思えない若々しさである。
「言いたい事は言えたし、マリン殿の花嫁姿も拝めたし、おまけに思う存分遊べたしねっ。思い残す事はもうないよ」
「……それなら、良いんですけど」
 シリウスは気まぐれで嘘つきだけれど、今の言葉はきっと本心だ。何の根拠もないけれど、リュートはそう思った。
 今でも思い出せる。シリウスがマリンの結婚招待状を受け取った時の事を。
 いつもいつもふざけた笑みが浮かべられている唇は真一文字に結ばれて、アイスブルーの瞳は一文字一文字を丁寧に追いかけていた。その顔に宿る感情は、無という言葉が相応しいと思った。
 その時リュートは悟ったのだ。やはり根拠なんて何もなくて、勘にも等しい不確かな推理だったのだけれど。
 ……シリウスは、マリンが好きなのだと思った。それも多分、本気で。
 けれどもアロランディアに来てからの彼はダリスに居る時以上にふざけた様子を見せていたし、マリンに対する態度も他者と比べて違う所なんて何もなかった。だからきっと、自分の主は恋い慕う相手への思いを、短時間で綺麗に整理してみせたのだとも思っていた。
 ……その認識が誤りであった事を、リュートはつい昨日知ったのだ。
 シリウスは言った。「言いたい事は言えた」と。
 ならば、それで良いと思った。
 シリウス本人がそれで良いと思っているのならば、他者が口を出せる事など何もない。
「君は?」
「はい?」
 唐突な問いに、リュートは反射的に聞き返していた。君は、何なのだろう。
「君はどうだい?このままダリスに戻っても、後悔はしないかい?」
 リュートは笑った。その反応に、シリウスは意外そうに目を細める。
「しませんよ。僕も、言いたい事は大体言えましたし」
 ……この胸に巣食う恋心を葵に明かす事は、遂にしなかった。けれど多分、それで良かったのだ。彼女を困らせたくはないし、今更この恋が叶ってしまったら逆に困る気もする。
 ……自分は、彼女に恋をする資格などない人間なのだから。
 だからこれで良かった。昨夜パーティの後、アークから報告を受けた。「あいつに告白した」と。「いつか返事をくれるまで、待つことにした」と。
 自分が彼を焚きつけた事でそうなったのならば、もうそれで良い。卑怯で卑劣な犯罪者の行動の結末としては、上々すぎるだろう。
「リュート」
「なんですか?」
 シリウスが立ち上がる。ボビーを懐に仕舞い込み、女性が見れば一目で恋に落ちそうな甘い笑顔を浮かべながら、言う。
「あまり自分を卑下しすぎてはいけないよ」
「………」
「君は私の大切な部下だ。過去に犯した事がどうであれ、それは変わらない。それだけは覚えておいて欲しいな」
 ……この人は。
 シリウス・ウォーレン・ダリスは普段は道化を装ってはいるが、その実人間観察力は卓越している。日々ふざけ続ける彼に付き従っていると忘れそうになるが、この人は仕えるに値する能力を持った人間である事は確かで。
「……はい」
 リュートは少しだけ泣きそうになっていた。それが失恋した事に傷ついているからなのか、それともシリウスの言葉に感動したからなのかは分からない。もしくはその両方なのか。
「随分長居をしてしまったけれど、我が王はどうしてるかなぁ。泣いてないと良いんだけど」
「さあ、どうでしょうね。陛下も最近は随分頼もしくなられましたし、シリウス様がいらっしゃらないくらいで泣いたりはなさらないんじゃないですか?」
「まさか!この美しく聡明な後見人である私が居ないのだよ?毎日毎日涙で枕を濡らしていなければおかしいじゃないか!」
「おかしいのはシリウス様の発想だと思いますけど……」
「リュート、減給」
「そ、それは勘弁して下さい!」
 よた話をしながら、ひとりの王子とその部下が大きな船に乗り込んでゆく。西の空はまだ暗く、東の空は僅かに白む。朝と夜の狭間に揺蕩う船は、あと数刻もすれば大海原に旅立つのだ。そして彼らはこの地を離れ、遠くダリスへと帰ってゆく。
 船とは人類の叡智の名であり、海を汚す要因のひとつでもある。人は何かを奪い、何かを汚しながら生きている。それは紛れもない事実なのだ。
 それでも、『神』は『神』である事をやめて、この島に在る。
 アロランディアという名の小さな国で、『人間』として生きる事を決めた。大切な存在に寄り添いながら生きてゆく事を決めた。
 人間もそんなに悪いものじゃない。
 胸を張ってそう言える日が、いつかやって来る。彼らはそう信じているから。


 ――夜明けはほら、すぐそこに。

もどろ 帰ろ