M.Q.I プロローグ


 ――神の国。
 かつて、そう呼ばれていた国があった。
 小さな島々と、大きな本島からなるその国は、神から賜った予言によって民を救い、民を守り、神が帰る地を守り続けていた。
 けれどそれは、虚偽の力だったのだ。
 当代の統治者である星読みの少年に神なる力は宿ってはおらず、神が降りたとされる地には滅びの象徴たる不吉な虹色の花が咲き乱れる。
 国の中枢を担う男達は、その事実を頑なに隠した。星読みによる予言を行い続け、新たな象徴――生け贄と言い換えても良い――を欲したのだ。
 嘘は一時的に真実を歪める事が出来るが、いつか必ず綻びが生じる。
 この国は遠からず滅びるだろう――国民の間でそんな噂が流れ出したのも、自然な事だったのかもしれない。
 それでも、少女達は諦めなかった。
 国の中枢を担う男達がどれほど弱音を吐き、絶望に満ちた未来を語っても、三人の少女達は頑なに首を横に振り続けたのだ。
 この国は滅びない。世界はこれからも続いてゆく、と。
 その言葉を実現させる為の努力も、彼女達は惜しまなかった。

 星の娘候補。

 エーベ神の生まれ変わりである証をその手に宿した少女達は、しかし自分がそうではない事を知っていた。国が自分達を生け贄と見なしている事も知りながらも、彼女達は国の力になる事を望み続けた。
 罪なき全ての人々が幸せになれる世界を、現実にする為に。
 ……それが、三年前の物語。
 現在彼の国は神の名を捨て、新たな体制でまつりごとを行っている。
 議会制度という名の、三人の少女を中心とした体制で。


「……おめでとー」
 一人目の少女の名は、アクアといった。
 銀色の髪をひとつに纏め、瞳にはアメジストのような美しさが宿っている。全体的に線が細く、儚い印象を与える彼女はしかし、議会の全てを記録する任を与えられた書記である。
 彼女が居なければ民に議会の決定が正しく伝わる事はなく、また議員達が過去の議会の内容を把握する事も出来ない。地味ではあるが、彼女の仕事は議会になくてはならないものだった。
 また、彼女はこの国を構成する施設のひとつである魔法院の院長でもあった。老若男女入り乱れた魔導士達をマイペースながらも纏め上げ、のんびりと魔法を伝授しているとかいないとか。
「うむ、ほんにめでたいのう!おめでとうじゃ、マリン殿!」
 二人目の少女の名は、葵といった。
 長い髪を高い位置で結わえ、しゃんと背筋を伸ばす彼女は、実際の身長よりも随分と長身に見える。切れ長の瞳は生の輝きに満ち溢れており、ともすればキツい印象を与えかねない彼女の顔立ちを、より魅力的に彩っていた。
 彼女は議会の長である議長を補佐する役目を担った、副議長である。と同時に、女性の身でありながら騎士の位を取った、この国ではじめての女騎士でもある。騎士院の制服を身に纏った凛々しい姿にやられてしまう女性が続出しており、彼女が巡回に出ればそこかしこで黄色い悲鳴が上がるらしい。
「や、やだなぁ、お祝いして貰うにはまだ早いですよ、ふたりとも。でも、ありがとうございます。えへへ」
 そして、三人目の少女の名は、マリンといった。
 前述の二名に比べると、どうにも印象が薄い。それが彼女達の容姿が特別に整っている事が原因であることは明白で、突出した美しさを持たないマリンは、なんだか全体的にぼんやりとして見えてしまう。
 けれど、それでも何故か目が離せない。
 長い栗色の髪から、芽吹いたばかりの若葉のような瞳から、決して長くはない手足から、目を逸らす事が出来ない。
 緊張感のない顔にふわりと笑顔が浮かべば、抱いた不安が全て消し飛んでしまう。不器用ながらにも精一杯に紡がれる言葉を聞けば、なんだか無性に応援したくなってしまう。
 マリンは、そんな不思議な魅力を持った少女だった。ある種のカリスマ性とも呼べる力を持った彼女が議長に就任したのは、ある意味当然なのかもしれなかった。
 そんなマリンの左手の薬指には今、小さな指輪がはめられている。不可思議な光を放つ青色の石があしらわれたそれを、彼女は右の手で愛おしげに撫でる。
「でも、いがいよねー……。わたしの知り合いの中でマリンが一番さいしょに結婚するなんて、思ってもみなかったわ……」
「そうじゃなぁ。一番ぼんやりしているように見えたマリン殿が、真っ先に幸せを掴むとは……。出会った頃には考えられなかった事じゃ」
 しみじみと呟くアクアに、葵が頷きながら同意する。
「そうですよねぇ。私も、まさか皆さんを差し置いて自分が先に結婚する事になるとは、思ってなかったです。ソロイさんとか、もういい歳なのに」
 本人が聞いていたらこれ見よがしに眉をひそめるような事を、マリンは大真面目な顔で口にする。
「あれは……もう一生結婚出来ぬのではないかのぅ……。そういう事が出来る男ではなかろう」
「そうね……ソロイと一緒にくらせる人がいたら、その人は聖人かあくまのどっちかよ……」
「あっ、悪魔、ですかっ?」
 対するアクアと葵も、なかなかすごい事を言い出す。目を白黒させるマリンに、アクアはフッとニヒルな笑みを浮かべて見せた。
「そう、あくまよ……たましいを食べるとか、そういう目的をもっている人じゃないと、とてもむりだと思うの。いきぐるしくて窒息死、しそうだし」
「こ、これこれ。いくらなんでも言い過ぎじゃぞ、アクア殿。ソロイ殿とて人間じゃ、悪魔とやらでなくとも、誰か好いてくれるおなごは居る筈だ。結婚生活だって、愛さえあればどうにかなるじゃろう」
「うん、だから、そういう人は、聖人だとおもうの」
 額に汗を流しながらフォローする葵に、アクアはけろりと言い放つ。幼い頃から大人びた事を言う娘だったが、最近のアクアはますます毒舌に磨きをかけている。マリンは元より、葵でさえ歯が立たなくなりはじめていた。
「……おぬしの言い分だと、私も悪魔とやらか聖人としか結婚出来そうにないの。元よりするつもりもないが」
「えー!?そんな事ないですよ!絶対!」
 ぐっと拳を握り締めながら、マリンは力強く言い切る。
「葵さんは美人だし、強いし、格好良いし、優しいし、頼りになるし!お嫁さんになりたい子達はたくさん居ると思います!ハイ!」
「そうね……わたしも、葵のおよめにならなってもいいわ……」
「こ、これこれ。私はこれでも女じゃぞ、一応は」
「勿論、お嫁さんにしたい男の人もたくさん居ると思います!」
「そうね……わたしも、三食おいしいごはんをつくってくれるなら、およめにしてあげてもいいと思うわ……」
「いやいやいや、アクア殿も女であろう!?気をしっかり持て!」
「持ってるわ。わたし、女の子のおむこさんがいてもいいと思うの……」
 淡々とした口調で告げられる言葉は、本気なのか冗談なのか判別がつかない。しかし、葵は前者として受け取ったようだった。目を剥き、アクアの華奢な肩をがたがたと揺らしはじめる。
「わー……ゆれるー……」
「おぬしのような可愛らしいおなごがそのような事を言ってはいかん!そのような言葉を聞けば多くの男が涙する事になるぞ!」
「そうそう!例えばこの私とかね!」
「オヨメサンコウホガヘルナンテユルセナーイ」
 華やかな声が響いていた部屋に突如乱入した、低い声。少女達の動きがぴしりと止まる。
「駄目ですよアクア殿、葵殿の言う通りです。そのような言葉は全ての男の失望を誘います。可愛い女の子が可愛い女の子のお婿さんになるなんて、不毛ですよ。勿論、そこに愛があるのなら、私だって何も言いませんがね」
「デモ、ヤッパリオンナノコニハ、ボクニムチュウニナッテホシイヨー」
「こらこらボビー、ワガママを言ってはいけないよ。愛するふたりの仲を裂くなんて、誰にも出来ない事です。ま、私の魅力をもってすれば可能かもしれませんがっ!」
 手にはめたパペット相手に延々と語り続ける男が、そこに居た。
 高い位置で纏められた白銀の髪は、儚いながらも確かな輝きを放っている。長さの割に枝毛のひとつも見当たらず、よく手入れされている事が一目見ただけで理解出来る。顔立ちもとても整っており、中でも澄んだ青色を宿した瞳が印象的だった。
 衆目の視線を集める為に生まれたとしか思えない美貌を誇る男はしかし、少女達には全く歓迎されていないようだった。
 まずはじめに行動したのは、アクアであった。彼女は素早く男の側に近寄ると、パペットとの会話に夢中になる彼に向かって足を振り上げる。
「………」
「あいたっ。な、何をするんですかアクア殿!」
「まわしげり」
 簡潔に告げながら、彼女は何故かマリンと葵に向かってVサインを掲げて見せた。なんだかやけに誇らしげである。
「うむ、よくやったぞアクア殿!」
「あ、あはは……ちょっと可哀想な気もしますけど……」
「そんな事はない。むしろもっと酷い目に遭わせても足りないくらいじゃ。ほれ、おぬしも一発お見舞いしてやったらどうだ?」
 苦笑するマリンに、葵は物騒な事を勧めだす。マリンは慌てた様子でぶんぶんと手を振る。
「だ、大丈夫です大丈夫です。そんな事したら国際問題になっちゃいますよ〜……」
「ならぬだろう。今のこやつは大使でもなんでもない。リュートの部下の『セイリオス・ルインワルド』なのじゃからな」
「そ、それは建前じゃないですか!シリウス様は今も王族で、現国王陛下の後見人でもあるんですから!」
「まったく、アクア殿も葵殿も相変わらず容赦がないなぁ。その点、マリン殿は物事というものをよく理解しているようだね。結構結構」
 あははははと笑い声を上げる男――シリウス・ウォーレン・ダリス――に、アクアは再び蹴りを見舞う。
「ちょうしにのらないで。おに。きちく。げどう」
「こらこらこら、私のような美形に何て事を言いますか!」
「美形なんてめんざいふにならないわ。あなたはそう言われるだけの事をしたのだと、りかいしていないの?」
「いや、流石にしていますが。だからと言って許容出来るかどうかは別問題でしょう」
「べつもんだいじゃない。おに。きちく。げどう」
 お前の言葉など聞くつもりはないと言いたげに罵詈雑言を浴びせるアクアに、流石にシリウスも顔をひきつらせる。そんな彼の姿にマリンは苦笑を深め、葵は愉快そうに笑みをかみ殺す。
「まったくアクア殿の言う通りじゃな。マリン殿をあのような目に遭わせたというのに、謝罪のひとつもよこさずによくもまぁ私達の前に顔を出せたものじゃ」
「顔を出せたのは君達のおかげじゃないですか。入国許可を出したのも、その際に書類偽造をしろと助言したのも、全て君達だったと記憶していますが?」
「あのー……自分を入国させなければリュートさんを帰国させないって言ったのは、シリウス様だった気がするんですけど……」
「そんな事を主張した覚えはないね!」
「嘘を吐け嘘を!」
「てんちゅう」
「ちょっ、アクア殿、流石に跳び蹴りはマズいというか私の腰が粉砕される気がするのですが!」
「かよわいれでぃーのとびげりぐらいでふんさいされる腰なんて役立たずだから、こなごなになってしまえばいいのよ」
「わ……っ、アクアさん、ものすごい事言ってる……」
「本っ当に相変わらずですね、アクア殿は……」
 冷や汗をかきながらじりじりと後退するシリウスと、彼が後退する分だけ距離を詰めるアクア。瞬きすらも許されない緊張感を伴いながら、マリンと葵はふたりの動向を見守っていた。
 その時だった。
「……探しましたよ、シリウス様」
「うわぁっ!?」
 やけに背が高く、眼光鋭い色黒の男が、前触れもなく部屋に訪れたのは。
「おお、ソロイ殿ではないか」
 葵が気さくに声をかければ、彼――ソロイ・ブラーエ――は律儀に頭を下げた。
「ご歓談中失礼致します、葵殿、マリン殿、アクア殿。……シリウス様、途中で抜けられては困ります。部屋にお戻りください」
「嫌ですよ!部屋に戻ったら軟禁同然の状況になるのだろう?断固拒否します!」
「気持ちは分かりますが、仕方ありませんよ。今のシリウス様は書面上はリュート・ウィルソンの部下ですが、貴方の顔を覚えている人間は大勢居る。いらぬ騒ぎを起こさない為にも、そうするしかないんです」
「あれ?プルート様もいらっしゃったんですか?」
 ソロイの後ろから顔を出した眼鏡をかけた少年に、マリンは目を丸くする。すると少年の方は悲しげに眉根を寄せてしまった。
「……様は必要ありませんよ、マリンさん」
「あっ!えと、はい!プルートさ……」
「………」
 更に顔を曇らせる少年に、マリンは『ま』の形を作る唇を無理矢理に閉ざした。身体中に力をみなぎらせながら、彼女は再度、今度は勢い良く口を開く。
「ぷるーとさん!」
「ものすごいぼうよみね……」
「まぁ、それがマリン殿じゃからな。仕方がない」
「で、でもでも、今日はちゃんと言えましたよ!一歩前進です!」
 興奮したように頬に手を当てるマリンに、アクアも葵もプルートも、呆れたような、けれど微笑ましいものを見るような視線を注ぐ。
「さあシリウス様、お戻り下さい」
「嫌だって言ってるだろう?君は相変わらず融通がきかないなあ!」
「………」
「うわ!無言で剣を抜くんじゃないよ!冗談が通じないところも変わってないなっ」
「ソロイ、ごー」
「うむ、ごーじゃごーじゃ」
「あわわわわ、葵さんもアクアさんも煽らないで下さーい!プルート様、早くソロイさんを止めて下さい!」
「……また様付けですか……」
「プルート殿!そんな事にこだわってないで、お願いですから早く……うわあっ!!」
「部屋にお戻り下さい」
「きゃあああああああ!プルート様、早く、早く〜!」
 賑々しい声が響く部屋。事情を知らぬ人間がこの光景を見れば、友人同士の少女少女と青年達が遊んでいるようにしか見えないだろう。
 けれど少女達は議長で、副議長で、議会書記で、少年はかつてこの国の統治者であった元星読みであり、青年のひとりは神殿と騎士院を取り仕切る銀円の騎士であり、もうひとりに至っては異国の王族に名を連ねる王子であり、この部屋は議長の仕事部屋である。
 彼女達がこうして笑えるようになるまでには、様々な出来事があった。数多の人と出会い、決して少ないとは言えない別れを経験しながら、自らの手で現在を選び取ったのだ。
 時には痛みを伴う事もあった。涙を流したくなる時もあった。
 そんな時は顔を上げ、涙がこぼれないように夜空に輝く星を見た。どれだけ手を伸ばしても届かないものに思いを馳せた。
 己が星になれない事は知っていた。なりたいとも思わなかった。けれど、似たものになりたいとは思っていた。


 マリンは願っていた。
 星のように、誰かの心に光を灯せるような人間になりたいと。

 アクアは願っていた。
 星のように、誰かを導ける人間になりたいと。

 葵は願っていた。
 星のように、揺るがぬ心を持った人間になりたいと。


 これは、そんな夢を叶えた――或いは叶える事になる――少女達の物語だ。

帰ろ 進も