風の行方


私は罪を償わなくてはなりません。
決して許される事のない罪を、私は犯してしまいました。
死んだ後には地獄に落ち、灼熱の業火にその身を焼かれる事でしょう。
もしも生まれ変わり、もう一度世界に産声を上げる事になってもその罪は消えません。
私は罪を償わなければなりません。
今私がここに居る事も、贖罪の為なのです。
けれど。
私は彼が愛しい。
彼が私の罪を象徴するものであっても、それでもなお。
私は彼が愛しくてならないのです。
罰は受けます。何度でも、どんな事でも。
だから許して下さい。
私が彼と共に居る事を。
それがどんなに罪深く、許されざる事だとしても。
どうかお許し下さい。



風の行方



そこは酷く狭く、荒れ果てた部屋だった。
部屋には初老の男が一人座っているのみで、他には誰も居ない。
気のせいだろうか、男は少し苛立っているように見えた。
「そこに座れ。今からする質問に答えて貰う」
ぼんやりと部屋を眺めていると、そう言われた。
素直に従い、椅子に腰かける。
「お前からの疑問質問は後にしてくれよ。今日中に役人共に送らなきゃならねえ書類が山ほどあるんださっさとこんな作業終わらしてえからな」
こくりと頷く。
別に尋ねるような事はないし、早くこの街に入りたかった。
「じゃあ始めるぜ。まず性別は?」
「女だ」
女、と書類に記入する。
「名前は?偽名でも何でもいいから早く言え」
「シェスナ」
あまり聞かない名だ。
「変わった名だな。国は?」
「トラドアだ」
「トラドアか……。そういえばあいつもここの出身だったな。次、身分は?」
「……それは」
そこで彼女は初めて言葉を詰まらせた。
「どうした?早く答えろ」
「……聖職者だ。一応そういう事になっている」
「はあ?」
その言葉に驚き、男はまじまじと目の前の少女を見つめた。
お世辞にもその身なりは綺麗とは言えない。使い古しの服に、錆びた槍。
どう見ても平民の格好だ。教会の人間ならばもう少しマシな身なりをさせてもらえるのではないだろうか。
「嘘を吐くならもうちょっとマシな嘘を吐け」
「嘘じゃない。本当にそういう事になっているんだ」
嘘を吐くのに慣れていないのか、あるいは嘘を吐くという行為に罪悪感があるのか、目を逸らしながら答える彼女の顔は若干引きつって見える。ならば最初から真実を言えばいいのにと呆れてしまう。
「そういう事って何だ」
「そういう事は、そういう事だ」
答えになっていない。
「言いたくないのなら無記入で提出してもいいが」
「だから言っているだろう、私は聖職者だ」
言い張る彼女に苛立ちを覚える。そこまでして聖職者を騙りたい理由が理解出来ないのだ。
「名前は偽名でもいいのに、職業は駄目なのか?」
「……って、やっぱり嘘じゃねぇか!」
「嘘じゃないと言っているだろう!?」
埒が明かない。しかし彼女の言う事も尤もで、書類は形式上のもので例え全て嘘でも特に問題はない。というよりも真偽を確認する術が無いのだ。全ては本人の申告に任せられている。しかしだからと言ってここまでバレバレの嘘を認めてしまってもいいのだろうか。
仮にここで書類の作成を放棄すれば、彼女がカルスに入る事は認められない。彼女の様子では引く事はないだろうし、このまま話していても延々と同じ事を繰り返すだけだろう。
考えるだけでも疲れる。そうならない為にも、さっさと認めてやればいいだけの話だ。簡単な事なのだ。
男はひとつため息を吐き、記入欄に「聖職者」と書き込んだ。
「……神様の名前使って悪さするなよ」
ここまで譲歩してそんな事をされたらたまったものではない。そう念を押しておく。
「そんな事をするつもりはない」
ぼそりと呟かれた言葉に肩をすくめる。口だけなら何とでも言えるのだ。
「まあいい。最後の質問だ。ここに来た目的は?」
「金を稼ぎに来た」
「金儲けねぇ」
仮にも聖職者を名乗るのならもっと他の理由にすればいいのに。
「よし、じゃあこれにサインしろ」
「サインとは、自分の名前を書けばいいのか?」
「そうだ。さっさとしろ」
「ああ」
さらさらと流れる様な動きで紙にペンを走らせる。
「後はこっちでやっとくから、もう行っていいぞ」
「分かった」
彼女は扉に向かって歩いていく。
「あ……」
男はふと気付く。聞き忘れた事があったのだ。
慌てて彼女に声をかける。
「おい、あと残りは何人居る?」
「残り?あと一人だが」
「そうか、行っていいぞ」
ばたん、と扉が閉まる。
あと一人でこの作業は終わる。そう思うと何とも言いがたい解放感を感じてしまう。
「………」
しかしその思いも目の前の書類の山を見て、一気に散乱していったのだった。



「次、さっさと入って来い!」
待合室に居た少年は少しだけ驚く。その声が何だかもの凄く怒っている様に聞こえたのだ。
ひょっとして、彼女が何か失礼な事を言ってしまったのではないか。そんな思いが湧き上がる。
ありえない事ではない。何てったって少年は彼女の性格をよく知っていた。
というかおそらくはそれしかない。だってあんなに怒っている。たった一言であんなに怒りを込めていたんだ、間違いない。
「おい!早くしろ!」
「は、はい!」
地獄の門を開かねばならない。
少年は自らの不運を呪った。
「……こんな事ならシェスを先に行かせるんじゃなかった……」
悲痛な呟きはしかし、誰にも聞かれる事は無かったのだけれど。



「やっと来たな。そこに座れ。今からする質問に答えて貰う」
「………」
やはり男は怒っている様に思う。
「どうした?早く座れ」
「……あの」
「何だ」
「……ごめんなさい!!」
「……は?」
いきなりそう言い、頭を下げた少年に男は面食らったようだった。
「い、いや、何謝ってるんだ?顔を上げろ」
「だって、シェスが何か言ったんでしょう?そんなに怒って」
「シェスって誰だ」
「俺の前に入ってきたのがシェスです。俺の姉さん」
「……いいか、お前の姉さんは何もしてないし、俺は別に怒っていない」
確かに押し問答はしたが、怒るほどの事でもない。
「……そうなんですか?」
ちらりと上目遣いで男の方を見ながら問うが、やはり怒っている様にしか見えない。
「ああ。そうなんだ。分かったら座れ」
「でも、そんなに機嫌悪そうなのに」
「………」
機嫌が悪いのは図星だった。書類の束を見ていて機嫌が良くなる人間も居まい。
だが、いつもはこの倍以上の量をこなしているのだし、この程度でまいるのも、それを新入りに見抜かれるのも彼にとっては情けない事であった。
「……いいから座れ」
だからそれ以上は何も言わず、質問を始めた。
「まずは性別だ」
「……見ての通りの男ですけど」
一体どんな質問が飛び出すのかと思い緊張していたのに、男の一言は見かけで分かる様な簡単な質問だった。拍子抜けしてしまう。
「よし、名前は?」
「ニース」
「姉弟揃って変わった名だな。国は?」
姉への質問で分かっていた事であったが、一応確認の為に聞いておく。
「故郷ではよくある名前なんですけどね。国はトラドアです」
「身分は?」
「農民です」
男は意外そうな顔をして見せた。
「何だ、聖職者じゃないのか?」
姉が聖職者だと言い張ったので、弟もそう言うのかと思っていた。
だがニースもその言葉に驚いた様だった。
「……シェス、聖職者なんて言ったんですか?」
「やっぱり嘘か?」
「いえ、嘘ってわけでもないんですけど。……姉は修道院に居たわけじゃないし、聖書も覚えてません。俺達親が死んで、教会に引き取られたんです」
「………」
「成長して、俺は教会を出て行きました。これ以上司祭様に迷惑かけるのも嫌だったし、畑耕してた方が性に合うから近所の農家の人手伝って、お礼に収穫物を貰って暮らしてたんです。近くに空き家があったので、そこに住んで。けど姉はそのまま残って教会を手伝ってました」
「……確かに嘘ではないが、真実でもないな」
「そうですね。姉も自分の身分をどう言おうか迷ったと思います。そのまま孤児と言うのは躊躇われたんでしょう。それを俺達がどうこう思っているわけじゃないけど、周りの目はやっぱり変わりますから。それに、身分かどうかよく分かりませんしね、孤児って」
「確かにな。だが、ここじゃそんな連中はごまんと居る。特に隠す必要もないと思うぞ」
「そうですね。姉に言っておきます」
「よし、じゃあ最後の質問だ。ここに来た目的は?」
「姉が暴走するのを止める為」
「はあ?」
どうにもこの少年には面食らわされる事が多い。その顔を見、ニースは続ける。
「姉は何の為にここに来たと言ってましたか?」
「金儲けと聞いたが」
「まあ間違ってはないですね。司祭様の治療費を稼ぐ為だから」
「……何だって?」
あっさりと放たれた言葉に耳を疑う。彼女はそんな事、一言も言っていなかった。
「治療費です。司祭様、倒れちゃって」
「だが教会なら魔法が使えるし、金を払えば毒術師にも見てもらえるだろう」
「辺境の教会には魔法具なんてありません。それに貧乏な教会だったんで、その日を乗り切る事だけで精一杯だったし、とても毒術師に見せる余裕はありませんでした。ともかく、姉は司祭様を助けたかった。その時に思い出したんです。アスラファエルの事を」
先ほどの彼女の様子から考えられもしない事情である。
「姉はああ見えて思い立ったら即行動が理念みたいなものですから、思いついたらさっさと村を出て行きました。で、俺はそれについて来たってワケで。心配でしたから」
男は少し迷ったが、結局は目的の欄に「金儲け」と書き込んだ。
「よし、じゃあこれにサインしろ」
「はい」
「よし、じゃあもう行け。……悪いな、色々話させて」
この程度の事情は、カルスではまだマシな部類に入る。だが、言いたくない事だったのかもしれないのに話させてしまった事は自分が悪い。
「いえ」
そう言って彼の見せた顔は、穏やかな笑顔だった。


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