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魔法というものが嫌いだった。 魔を導く者。そう名乗った男が見せた魔法は、この世のものとは思えないほどに美しかった。世界を変える素晴らしい力だと笑う彼を、一度は信じた事もある。 けれどその思いは裏切られ、素晴らしい筈の力は己の愛する国を焼き尽くした。 その時からだ。魔法を憎いと思いはじめたのは。 男は国を去り、自分の心には彼と彼が残した憎しみが強くこびりついた。 ……だから、運命だと思ったのだ。 いつものように戦争の種を探す為に大使として赴いた国。そこに、この世で最も憎い男の姿を見つけた時は。 美しき神の国。アロランディア。 この国も己の故郷のように作り替えるつもりならば、それを阻止しなければならないと思った。 例えどんな手を使おうとも。どんな汚名を被ろうとも。 「やぁ、マイハニー!」 「わっ、シリウス様!?」 ……どんな犠牲を、払おうとも。 「お願いします!今日はセールなんですよ!どうしても男の人の手を借りたいんです〜!」 「……別に私である必要はないと思いますが。ブルー殿に頼めば、喜んで手伝って頂けるのではないですか」 廊下の向こうから聞こえてきた声に、シリウスは足を止めた。マリンとソロイ。からかうと面白い組み合わせだ。 (ま、からかいすぎると怖い事になる組み合わせでもあるんですがね。主にソロイ殿が) 少し部屋を抜け出しただけで剣を向けられた事を思い出し、シリウスは遠い目をした。 「ブルーさんは、今日はアクアさんの研究のお手伝いをするらしいんです。しかも泊まり込みで。だから手伝って貰うのは無理なんですよ〜」 「ならばアークでもリュートでも、他にいくらでも候補はいるでしょう。私は忙しいのです、他を当たって下さい」 「私の知り合いの中ではソロイさんが一番力持ちなんですよ!だからお願いします!」 懐に忍ばせたボビーを確認。いつでも手に装着出来るように位置を微調整しておく。音を立てないよう最大限の注意を払い、一歩足を踏み出す。 「お断り致します。私もそこまで暇なわけではありませんので」 「そこをなんとか!」 「いくら頼み込んでも無駄です」 息を殺し、柱の影に身を潜める。ああ楽しい。ふたりの驚く顔を想像するだけで気持ちが高揚してくる。人をからかう事は、どうしてこうも面白いのだろう。 「お願いします!今日を逃すと後一ヶ月も待たないといけなくなっちゃうんです!」 「私の知った事ではありません。ですが……」 (お、ソロイ殿が折れたかな?つまらん) 女の子の頼みを無碍に断るなんて男の風上にも置けないだとか、マリン殿がここまで頼んでいるのになんて酷い男だとか、そんな言葉で徹底的にからかってやろうと思っていたのに、こんなにすぐに折れてしまうなんて、つまらないにもほどがある。 (三年前と比べて、ソロイ殿も丸くなったって事なのかな。私には相変わらずな態度ですが) 一気に興味を失い、シリウスはその場を離れようと身を翻す。 「そこまで誰かの手を借りたいのであれば、シリウス様に頼まれたらいかがですか?」 「!?」 ……が、耳に飛び込んできた言葉が彼の足を止めさせた。 「シリウス様ですか?いや、あの、でもシリウス様って軟禁されているんでしょう?神殿から出るのも禁じているって、プルート様が仰っていましたけど……」 「そうですね。こちらとしてはそのつもりで監視をしているのですが、シリウス様はなかなか頭が回られる。監視の目を眩ませて部屋を抜け出すのは、もはや日常茶飯時になってます」 ソロイはそこで一拍の間を置いた。シリウスは背に感じる視線を気の所為だと思おうとしたが、うまくいかない。冷や汗が流れはじめる。 「……今のように」 (やっぱりバレてる!) よもやとは思ったが、ソロイは既にシリウスの気配に気付いていたらしい。となれば、このまま見逃して貰える筈もない。相手はあのソロイである。この後を惨劇を思い、シリウスは震え上がった。 「……はい?」 「その柱の影にシリウス様がおられます」 「えええ!?」 (ああ、マリン殿は本当に反応が良いなぁ。素晴らしい) ソロイと違い、指摘されるまでシリウスの存在に全く気付いていなかったのだろう。素直な驚きに、シリウスの胸は充実感で満ちてゆく。 (このまま逃げる事も出来ますが……それじゃあ肝心なものが見られないな) 怒られるのは勘弁であるが、しかしながらシリウスは結局は姿を現す事を選んだ。 理由はただひとつ、マリンの驚く顔が見たいからである。どこまでも 悪戯好きの男であった。 「やぁやぁ、流石ソロイ殿。この私の隠密状態を見抜くなんて、なかなか出来る事ではないよ!褒めてあげよう!」 「わっ!?本当に居た!」 マリンは大きく瞳を見開き、飛び上がらんばかりの勢いで後ずさった。予想通りの反応に、シリウスは自然と満面の笑みを浮かべていた。本当にからかい甲斐のある子だ。 「ええ、居ましたよ。暫くマリン殿に会えなくて、私はとてもとても寂しかったなぁ!」 「え。暫くって、二日前にもお会いしたじゃないですか」 「だから暫く、なんじゃないですか!二日も君に会えないなんて、私の胸は寂しさで爆発しそうでしたよ!」 「ムサイオトコニカコマレテ、シニソウダッタヨー」 「あ、そういう事ですか……」 ボビーの言葉に、マリンは苦笑いを浮かべる。 「……では、私はこれで」 こちらに背を向けて立ち去ろうとするソロイに、シリウスは少なからず驚いた。血の粛清……とまではいかないだろうが、重い罰を受けるものだと思っていたのに、何もせずに立ち去るだなんて、ソロイらしくないにもほどがあると思う。 しかし何もされないのならばその方がいい。大歓迎だ。ボビーを装着した右手を振りながら、シリウスはソロイを見送ろうとし、 「あっ!何処に行くんですかソロイさ〜ん!」 ……マリンに思いっきり出鼻を挫かれた。 「荷物持ちをして下さるって、約束したじゃないですかソロイさ〜ん!」 「……そんな約束はしておりません」 (おいおいおい!) 架空の約束を持ち出したマリンに、ソロイが反応してしまった。折角罰を受けずに済んだのに、このままでは話の転び方次第で罰が確定してしまうかもしれないではないか。 「あ、あれ?そうでしたっけ?」 「しらばっくれないで頂きたいですね。私は一度も首を縦に振った覚えはありませんが」 「で、ですけど!約束に関してはそうかもしれなかったですけど、シリウス様はどうなさるんですか!目の前に居るのに、お部屋に連れ戻さなくて大丈夫なんですか!?」 ……早速そっちの方向に話が転がりだしてしまった! シリウスはすっかり忘れていたのだ『元』星の娘候補達が、三人が三人とも際立った個性の持ち主である事に。 そして、一番目立たず、特に長所も短所もないように見えるマリン・スチュワートという名の少女が、時折とんでもない天然っぷりを発揮し、常識では考えられない方向に他者を追い込んでいく事を。 恐らく彼女は己がシリウスを追い詰めている事になど、微塵も気付いてはいまい。ただ疑問に思った事を素直に口にしているだけなのだと思う。 「マ、マリン殿!去りゆく者を引き留める必要なんてありませんよええ全くありませんとも!ソロイ殿だってお忙しいのでしょうし、邪魔をするのはよした方がいい!」 「え?ですけど、最高位の騎士であるソロイさんがシリウス様を見逃したら、監視任務についている騎士の皆さんの士気が下がっちゃう気がするんですけど……」 (うわっ、なんか真っ当な事を言いはじめた……) 下々の者の気持ちを思んばかったマリンらしからぬ言葉に、シリウスは若干怯んでしまった。 (伊達に三年も議長を務めてはいないって事ですかねぇ……) 三年前、神殿での生活に戸惑ってばかりいた頃のマリンを思えば、彼女なりに成長したという事なのかもしれない。しかしシリウスにとっては寂しさと悲しみを覚える変化だった。思わず遠い目をしてしまう。庶民代表と呼べるほどの田舎っぽいのどかな雰囲気を纏っていた娘は、もういないのか。 「シリウス様は何度も何度も部屋を抜け出されていますから、既に士気などなきに等しい。今更下がったところで問題はありません」 「で、でも……だからと言って放置するのは、どうかと思うんですけど……」 遠慮がちながらもはっきりとしたマリンの言葉に、ソロイは暫く考え込む様子を見せた。 「……分かりました」 (分からなくていいよ!) と、シリウスが口を挟む暇もなく、ソロイは高らかに宣言した。 「シリウス様の軟禁状態を解除いたします」 「えー!?」 驚きの声を上げたのはシリウスではなく、マリンであった。あまりの声量に、近くに立っていたシリウスは耳に痛みを覚える。 「か、か、解除って、そんな事勝手に決めても良いんですか!?」 「ええ。先ほどマリン殿が仰られた通り、私は銀円の騎士です。神殿の警備に関する決定権は私にある。その事は貴女もよくご存知の筈ですが」 「そ、それはそうですけど!大丈夫なんですか!?」 「酷いなー、マリン殿。そんなに私の事が信用出来ませんか?」 「この国で貴方の事を信用している者など、誰ひとり存在しないと思いますが」 他国の王族相手に、ソロイは国際問題になりかねない発言を淡々とする。一応は『様』付けを貫いてはいるが、彼がシリウスに敵意を抱いているのは明白であった。 しかしシリウスはそんな事で気分を害さない。むしろここまではっきり言われると逆に爽快ですらある。 「では、そんな私の軟禁を解く意味は何処にあるのですか?いいんですか?信用のない男が、国の中を好き勝手にうろつく事になりますよ?」 「ご勝手にどうぞ。ただし、過ぎた行動には相応の結果が待っている事をお忘れなく」 鋭い眼光でシリウスを睨みつけると、ソロイは身を翻して歩き出す。 「あ!ソロイさ〜ん!荷物持ちは!?荷物持ちはどうなるんですか〜!?」 マリンの叫びにも、今度こそ反応しなかった。その背が見えなくなるのを待ってから、シリウスはひとつため息を吐いた。 「……やれやれ、随分とキツい態度だなぁ。三年前よりも酷くなっている気がするよ。恨まれてるのかな、これは」 「それは……仕方ないと思いますけど……」 じっとこちらを見上げながら呟かれた言葉に、シリウスは苦笑する。 そうだ、アクアほどキツくはないし、葵ほどはっきりとした物言いをするわけではないが、マリンは言葉にしにくい真実を、躊躇いながらも口先に上らせる事があったのだ。薄れていた記憶が徐々にはっきりとしていくのを、シリウスは感じていた。 「あー、でもどうしよう。今日を逃したら一ヶ月待たなきゃいけないのに〜……」 「ああ、セールがどうとかいう話でしたっけ?」 「き、聞いてらしたんですか!?」 しょんぼりと肩を落とすマリンに問いかければ、がばりと身を上げて勢い良く尋ね返された。 「ええ、聞いていましたよ。と言うよりも、聞こえてきたんですけど。君は相変わらず声が大きいね!」 「シリウス様もかなり大きいと思うんですけど……って、それなら話は早いです!」 「は?」 距離を詰め、真っ直ぐに瞳を見つめながら、マリンは自らの胸の前で手を組んでいる。大きな瞳には真剣な光が宿っており、エメラルドのように煌めいている。ともすれば意識を引き込まれてしまいそうで、シリウスは柄にもなく狼狽しそうになった。 ルージュの引かれていない健康的な血色の唇が、開かれる。 「荷物持ち、お願いします!」 「……はい?」 そんなこんなで。 「シリウス様〜、こっちです〜」 「はいはい、そんな大声で呼ばなくても分かってますよ」 シリウスはマリンに付き従いながら、大きな紙袋を抱えていた。 袋の中身はグラスであったり、皿であったり、リボンであったり、服であったり、コショウなどの調味料であったり、とにかく統一感がない。足取り軽く先を行くマリンの背が、シリウスには実際以上に遠く感じられた。 「本当に助かっちゃいました!市のセールの日って、月に一回しかないんですよね。シリウス様が付き合って下さらなかったら、こんなにたくさん買えませんでした。ありがとうございます!」 「そーですか。いくらでも感謝して欲しいですね、本当に」 世界広しと言えども、王族に荷物持ちをさせる娘などマリン以外にはそういまい。 (……まぁ、アクア殿辺りも平気で持たせそうですけど。アロランディアは恐ろしい国だなぁ) しみじみと思いながら、シリウスは腕の中の重みを意識する。常ならば自分の部下に持たせているところであるが、生憎と今この国に滞在している部下はリュート以外にはいない。そのリュートも自分の命で朝から宝石店を巡らせているので、こうして人生初の荷物持ちをする羽目になっているのだ。 (……これは、マリン殿なりの復讐なのかな) 魔法を憎み、ひとりの魔導士と魔法装置を亡きものにしようとした、自分に対しての。 ……それにマリン・スチュワートを道連れにしようとした、自分に対しての。 どれだけ謝罪しても許されない罪を、シリウスは犯した。彼自身それは自覚しているし、許されたいとも思っていない。もう二度とこの地を踏む事は出来ないだろうと、そう思っていたのに。 マリンは買い物の最中も気負った様子を見せなかった。市に並べられた品物を真剣な目で吟味し、選び取ったものを店主に差し出す。道行く人は気軽な様子で『議長』に声をかけ、彼女はそれに笑顔で応えていた。年配の女性が店番する露店で勧められるがままに果物を味見し、美味しいと笑う。泣いている子供を見つければ側に駆け寄り、可愛らしいレースがあしらわれたハンカチで涙を拭ってやる。 側には、かつて自分を殺しかけた男が立っているのに。 マリンの笑顔は陰らなかった。そこに居るのは紛れもない、庶民代表と呼べるほどの田舎っぽい、のどかな雰囲気を纏う娘だった。 こんな粗品、部下に頼めばすぐに用意して貰えるだろうに。望みさえすればもっと良い品が手には入る筈なのに。何せ彼女は今やこの国のトップなのだ。出来ない筈はないと思う。 なのに彼女はそれをしない。その理由がシリウスには見当もつかない。故に彼にはマリンという存在が不思議で不思議でたまらなかった。 「……マリン殿」 「はい?」 呼べばくるりと振り返る、まだ幼さを残しつつも、思春期から大人の女性へと脱しようとしている顔。ふわりと舞う髪が陽の光に照らされ、眩しくきらめく。その様に、シリウスは目を奪われた。 アクアや葵のように突出した美を持っているわけでもないのに、マリンはふとした瞬間にすさまじい魅力を放つ事がある。三年前のシリウスは、それは自分に原因があると考えていた。 疲れているからそう見えるだけだとか、目の錯覚でしかないとか。……そんな理由を、こじつけていた。 けれど今なら分かる。原因は自分にあるのではない。これは、正真正銘、マリン・スチュワートの力なのだ。 「君は不思議な子だね」 「不思議、ですか?」 小首を傾げる仕草が、本当に可愛らしいと思う。 「君を殺しかけた男と一緒に居るのに、全く怯える様子を見せない。不思議で、変な子だ」 「へ、変、ですか……」 「変だよ。普通、もっと警戒するものじゃないのかい?あんな事をされたのだから」 甘言を囁き、マリンの純粋さにつけ込んで、彼女を利用した。発達途上の身体を抱き締めて、私の願いを叶えて欲しいと懇願した。 その相手にマリンを選んだのは、一番御しやすい相手だと踏んだからだ。 己の魅力を生かしやすい異性であり、あの装置に近付ける身分を持つ者は『元』星の娘候補達以外にはいなかった。 けれどもアクアは利用するには聡すぎた。己の意図など簡単に看破してみせるだろうし、何よりヨハンに近すぎる位置にいるのがよろしくなかった。土壇場になってヨハンに味方されるほど困った事態はないだろう。 異性への免疫のなさを考えれば葵も利用出来そうだったが、しかしながら彼女は免疫がなさすぎてそもそもこちらを『男』として見ているのか疑問に思う部分があった。それに、葵は正義感が強すぎる。黙ってこちらの計画に従ってくれるとは、到底思えなかったのだ。 だからシリウスはマリンを選んだ。垢抜けない外見に、お人好しな性格。人のプラス面を重視して見ようとするその姿勢は、騙す相手には最適だった。こちらが何もしなくとも、彼女は自分の魅力に溺れてくれると踏んだのだ。 自らの美しい外見を最大限に生かして、彼女にひとときの甘い夢を見させた。 ……その結果が、あれだ。 魔法装置の設置場所にヨハンと共に閉じ込めて――彼女を、殺そうとした。 「……私を恨んではいないのかい?私は君を、最悪の方法で裏切ったのに」 ……一番残酷な方法で、裏切ったのに。 マリンはふわりと笑う。この島を囲む海のような、大らかな笑顔。 「恨んでませんよ」 ……迷いなく、そう告げた。 「シリウス様はシリウス様なりにこの国の事を考えて下さっていたと思いますし、あんな事もしたのも、そうするのがアロランディアにとって一番良いことだと思ったからですよね?」 自分を犠牲にする方法が一番良いからそうしたのだろう――マリンは、そう言っていた。 「シリウス様のした事は間違ったことだったのかもしれません。私も、自分にされた事を思えばとても悲しくなりましたけど、でも、だけど恨んではいませんよ」 シリウスは瞬きすらも出来なかった。マリンの笑顔に魅入る事しか出来なかった。 「私は、自分の意志で行動しました。だから後悔もしていません。反省はしても、あの時シリウス様を信じた自分の気持ちを、悔やんだりはしないんです」 ……ただひとつ。 あの頃のシリウスには、ただひとつ誤算があった。 マリンに過剰なスキンシップを計ったのも、甘言を囁いたのも、自分に恋焦がれて貰う為にした事だ。盲い、正常な役割を果たさなくなった心に命じれば、迷う事なくこちらの願いを果たして貰えると信じていたし、彼女をそんな状態に陥らせる事も簡単だと思っていた。 けれど彼女は……その意図を見抜いていたのだ。 思い出す。この腕で抱き締めた、やわらかな少女の身体。ふわふわとした髪の感触。ずるいと告げた、悲しげな声。 マリンがこちらの願いを了承してくれた時、シリウスは心底から喜んだ。本当に簡単に騙せる子だと、『仕事』が終わった感想を思い浮かべていたのだ。 「シリウス様も、私を信じて下さいね」 ……そして、その言葉に凍り付いた。 「恋で縛り付けなくても、私は自分で選びました。自分で考えて、選びました。だから、シリウス様も私を信じて下さい」 最も卑劣な手段で言う事を聞かされた。それを理解した上で尚、マリンが笑っている事を理解した。……してしまった。 「……そんなの、私には使わないで下さい。……それだけは、約束して下さい」 マリンという少女に特別な思い入れなんてなかった。ひたむきに努力する姿を好意的には思ってはいたが、良くも悪くもそれだけだった。普段は遠くにある『庶民』の姿を間近で観察出来て楽しい――そんな思いしか抱いていなかった。 星の娘候補達の中ではアクアが一番気に入っていたし、葵と接するのもそれなりに楽しいと思っていた。三人の中で一番平凡なマリンは、シリウスにとっては『見下す』存在でしかなかったのだ。 そんな彼女が初めて見せた強さに――シリウスはやられてしまった。 ……恋を、してしまったのだ。 それでも彼は計画を中止しなかった。恋よりも強い気持ち――復讐心を優先させた。それでマリンが死んでも構わないと、本気で思っていた。 彼女程度の女など、他にいくらでもいる。そんな傲慢で残酷な事を思いながら、マリンを裏切ったのだ。 だというのに、マリンは笑っている。今もシリウスの目の前で、汚れのない笑みを浮かべ続けている。 「……君は強いね」 「そ、そうですか?そうあれたらいいな、って思ってますけど、あんまり自信はないんですよね」 「強いよ。……君ほど心が強い女性を、私は他に知らない」 大罪人を許し、再び会う事を許可するほど強い人。その強さに、三年前のシリウスは気付けなかった。気付けぬままに騙し、気付いた上で裏切り、傷つけた。 (私は馬鹿だな、本当に) それでも、シリウスは後悔していない。マリンと同じように、あの時の行動に対する後悔など、絶対に抱いたりはしないのだ。 (……あれは、私にとって必要な事だったから) 憎い人間を目の前にし、小さな子供がその人間の為に犠牲になろうとしているのに、それを放置する事なんて絶対に出来なかった。マリンの言うようにアロランディアの為を思った行動であったのも確かだけれど、それよりも強い原動力は、やはり復讐心であったのだと思う。それを否定するつもりはないし、言い訳するつもりもない。 (……だけど、マリン殿と同じように反省はしているよ) 復讐をしたいのならば、自分だけで行動すれば良かった。 第三者、それも何の罪のない少女を利用するなんて、絶対にしてはいけなかった。 この世に平等な事なんて何ひとつ存在しない。人の命もそれは同じで、王族であるシリウスは『生きるべき人間』だった。その考え方を彼自身が好むかどうかはさておいて、ダリスの人間の大多数はシリウスが生き続ける事を望んでいる。 故に彼は己の手を汚そうとしなかった。星に手を宿した少女に、全ての罪を被そうとした。 ……それが間違いであったと、今のシリウスは思えるのだ。 (これは成長なのかな。それとも、退化してしまったのか) 答えは誰にも分からない。けれども、シリウスは今の自分の事が決して嫌いではない。 ……三年前の自分よりもずっとずっと好きだと、胸を張って言い切れるから。 |