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マリンには夢がある。 第一に、大好きな人のお嫁さんになる事。 第二に、その結婚式に大好きな人達を呼ぶ事。 第一の願いはもうすぐ実現しそうだ。 第二の願いも、大多数の人間は出席してくれる事になった。 けれども、ひとりだけ。 たったひとりだけ、招待状を何処に送れば良いのか分からない人物がいた。 「はぁ〜……」 机の上に投げ出された封筒を見つめながら、マリンは大きなため息を吐く。 「これこれ、そんなに大きくため息を吐くと、運が逃げてしまうぞ」 「わわっ、それは困ります!」 葵の言葉に、マリンは慌てた様子で手の平で口を塞ぐ。 「……いい加減、そのしょうたいじょうも出さないといけないわね……」 マリンの行動を呆れ顔で見ながらアクアがぽつりと呟けば、葵も同意するように頷いた。 「そうじゃのぅ。早く出さないと、届く頃には式が終わっておるかもしれぬしな」 「そ、それは困ります〜」 「……こまるけど、あてさきが書けないことには、どうしようもないわよね……」 「そうなんですよねぇ……」 三者の視線が封筒に集まる。白く簡素な封筒には『ヨハン・ハーシェル様』とだけ記されていた。 ヨハン・ハーシェル。アクアとユニシスの師であり、島に魔法を持ち込み、魔法院を創設した天才の名である。 眼鏡姿が特徴の穏やかな人物で、『先生』という愛称で親しまれ、アクアとユニシスのみならず、魔法院に属する者達、おまけにマリンや葵に魔法を教え、その素晴らしさを説いていた。 しかし彼は三年前、議会制度の制定を見届けると同時に島から姿を消してしまった。誰にも何も告げないままに。 後に残されたのは、小さなメモだけ。それも魔法院の運営に関わる事柄だけが書かれたもので、彼の行き先は何処にも記されていなかった。彼が関わった研究の資料も残らず消えていたらしい。 「困ったなぁ……先生にも絶対に出席して欲しいんですけど……。アクアさん、魔法でなんとかなりませんか?」 「むり」 「そ、即答ですか!」 「魔法はなんでもできるわけじゃないもの。あなただって、それは知っているでしょう?」 「し、知ってますけど、アクアさんならどうにか出来るかなぁ、って……」 「むり」 「や、やっぱり即答ですか!」 「ははっ、アクア殿は容赦がないのぉ」 「むだな期待をさせるよりはいいと思うの……」 アクアはクッキーを頬張りながら、「先生ならなんとか出来るかしら」などと考える。 魔法は何でも出来るわけではない。それは百も承知であるが、ヨハンに限って言えば『何でも出来る』気がするのだ。 あの人の発想はとにかくすごかった。常人では思いつかない方法で不可能を可能にし、並の魔導士では真似出来ない魔法の使い方を次々と考案していった。 (……ま、だからこそあんな装置をかんがえついてしまったんだろうけどね……) それでも、アクアは今でもヨハンをすごいと思っている。自分にとっても、ユニシスにとっても、きっとマリンと葵にとっても、彼は未だに『先生』なのだ。 ……ヨハンを慕う人間は大勢居るのに、それでも彼は島を出る事を選んだ。 「……でも、先生ってどうして何も言わずにいなくなってしまったんでしょうね。アクアさんにくらい、行き先を言い置いてくれても良かったのに……」 「そうさのぅ、シリウス殿は国外退去を命じられたのだし、リュートにしてもこれ以上この国に留まる事が色々な意味で困難であったからダリスに移住したのじゃ。ユニシスだってそれは同じで、奴らには国を出る理由は十二分にあった。だが、ヨハン殿に関してだけはさっぱり分からぬ。国を出る理由など、私には何もなかったように思うのじゃがなぁ」 「……そうかしら」 ぽつりとこぼした否定の言葉に、マリンと葵の視線がアクアに集う。 「アクアさんは、そうは思わないんですか?」 「……ええ」 「なんじゃ、一体何が理由であったのか、私達に教えてはくれぬか?」 「……めんどくさいから、いや」 「ええー、そんな事言わずに教えて下さいよぅ」 懇願しながら、何故かマリンはアクアに抱きついた。何故そんな行動に出るのか、アクアにはさっぱり理解出来ない。 「こんなことをしても、わたしは何もいわないわよ……。断固もくひ」 「そんなー!」 「くちを割らせたいなら、ケーキでも献上なさい……」 「け、献上したら教えて下さるんですか!?」 「ううん。断固もくひ」 「わーん!それじゃあケーキを作る意味がないじゃないですかー!」 「いや、そんな事はないぞ。おぬしの作る『けーき』とやらは、とても美味じゃ。私も所望するぞ」 「そ、そうですか?それじゃあ張り切って作っちゃおうかな……えへへ」 話が明後日の方向へと逸れてゆくが、こんな会話は彼女達にとって日常であった。マリンの体温を身体中で感じながら、アクアはひっそりと思考の中に沈みはじめる。 ヨハンが島を出た理由。その最もたるは、やはり彼が心血を注いで完成を目指していた魔法装置が壊された事にあるのだろう。 二度シリウスによって破壊を計画され、けれども完全に壊される事はなかったあの装置は、結局はユニシスの手によって再起不能の状態に陥った。 そしてヨハンはようやく気付いたのだ。あの装置の設計思想に、とんでもない欠陥がある事に。 ……世界に幸せを蒔けないものである事に。 おそらくヨハンが望みさえすれば、あの装置を再び作る事は可能だった筈だ。神殿があの装置の完成の為に支援した予算はとんでもない額に上っており、それは即ち国がそれほどまでにあの装置を欲していた証明でもある。 当時アロランディアはダリスを始めとした大陸の国々に狙われていた。それに対抗する術は、あの装置の完成以外には存在しなかったのだ。 ユニシスが装置を再起不能にしたあの日、ソロイは装置完成、並びに魔法院に対する支援を中止する未来を示唆していたが、あの装置以外の対抗策がすぐに見つかる筈もない。行動や予算に多少の制限はかけるだろうが、結局はヨハンという天才に頼る以外の道はなかったのではないかと、アクアは思う。 けれどもヨハンはそれを望まなかった。再び装置を作る事も、新たな研究に没頭する事もなく、自分達の前から姿を消した。 (……それは、わたしたちにたいしての贖罪だったのかもしれない) ユニシスはヨハンに破門され、島を出て行かざるを得なくなった。それでも、島を出るあの日。 目の前に現れたヨハンに向かって、ユニシスは『先生』と呼びかけた。もう呼んではいけないと言われた呼称を、そうと知りながらも使ったのだ。 先生は、俺にとってずっと先生であるのだと。 アクアもユニシスも、ヨハンの事が好きだった。大切だった。だからこそ、彼の行動が許せなかったのだ。 ……その事に、ヨハンも気付いてくれたのだと信じたい。 故に彼は姿を消してしまったのだと、アクアは思っている。自分を大切に思っている子供達の気持ちを全て無視して、夢以外の何も見ようとしなかった己を戒める為に、彼を知る者が居ない何処かの地へ去ってしまったのだと。 (最悪のほうほうだけどね……) 出来る事ならば、彼にはずっと自分の側に居て欲しかった。記憶を失くしたアクアにとって、ヨハンは父親のような存在だったのだ。 だらしがなくて、生活能力もなくて、片付けだって満足に出来やしない。 けれどもとても優しくて、自分という何処の馬の骨だか分からない子供を、大切に扱ってくれた。いけない事をしたら優しく諭してくれたし、上手く魔法を使えたらめいっぱい誉めてくれた。 それはもしかしたら、この手に偽りの『星』があったからなのかもしれない。 それでも良かった。そこにどんな意図があったにしろ、アクアはヨハンの事を心底好いていた。 ヨハンとユニシスは、アクアにとって正真正銘『家族』そのものだったのだ。 『幸せ』をくれた、人達だったのだ。 そんな人達が突然居なくなって平気でいられるほど、アクアは強くなかった。何処かに行くなら行くで、行き先くらいは教えて欲しかったのに。 (……次にあったら、思いっきり跳び蹴りしなくちゃね) 最後の見送りを果たせたユニシスとは違い、それすらも許してくれなかったヨハンに対してはそうする権利がある筈だ。強く地面を蹴って、その背にこの足を叩き込んでやらなければ、アクアの気はおさまりそうになかった。 「やあ皆、ご機嫌麗しゅう!」 「アソビニキタヨー」 ……ノックすらもされずに唐突に開かれた扉に、三人が三人共言葉を失った。 扉の先に居る人物は言わずもがな、トラブルメーカーにしてトリックスター、シリウス・ウォーレン・ダリスと、人形の国の騎士のボビーである。 「あれあれ?皆さんどうしたんですか、黙りこくっちゃって」 「イキナリシリウスガキタカラ、ミンナビックリシテルンダヨー」 「ああ、なるほど!私のような天才にして優美なる王子がいきなり部屋に現れたら、感動で口がきけなくなるのも当然だよね!」 ひとり芝居を続けるシリウスに、アクアは精神攻撃を受けているような気分になってきた。相も変わらず自己陶酔しまくっている言動に、頭痛までも覚えていた。 「……あなた、一体なにしにきたの?ここ、議長室なんだけど」 「ええ知ってますよ。花のような女の子達がお茶をしていると聞いて、こうして遊びに来たわけです」 「だ、誰に聞いたんですか?」 「神官だよ、神官。いやぁ、私が話しかけただけで数十メートルは後ずさるんだから驚いたよ!これも王族パワーってヤツなのかな!あそこまで強い効果を生んだのは初めてだったなぁ!」 ははははは、と笑うシリウスだが、彼がテンションを上げれば上げるほどに、三人の気分は沈んでいく一方である。誰かこの男を止めてくれ、と思わずにはいられない。 「……それ、王族パワーじゃなくて、犯罪者パワーだと思うわよ……」 「だな。私もアクア殿の意見に賛成じゃ」 「うーん、その線も否定しきれないね!……って、おや?」 楽しげな笑みが乗せられていたシリウスの顔が、不意に訝しげなものに変わる。その視線の先に在るものは、例の白い封筒だった。 「なんですか?誰かに手紙でも出すんですか?」 言いながら、シリウスは机――つまりは三人娘の元に向かって歩を進める。アクアと葵がそれを止めようと慌てて立ち上がるも、彼は大して苦もなく封筒を手に取ってしまった。 「えーと、なになに、ヨハン・ハーシェル様……?」 その名を認めたシリウスの顔が、見る見る内に嫌悪の色に染まってゆく。それに気付いているのかいないのか、葵が怒りの形相で封筒を奪い取った。 「これ、シリウス殿!勝手に人のものを盗み見るでないわ!油断も隙もない奴じゃな!」 「おや、私は別に盗み見てはいませんよ?堂々と見ましたよ堂々と!」 「そ、それって余計に悪質な気がするんですけど……」 「それは気の所為というヤツさマリン殿!」 「まったく気のせいじゃないと思うの……」 「コマカイコトハ、キニスルナー!」 全然細かい事じゃない、と心の中で突っ込みながら、アクアは先ほどシリウスが浮かべた嫌悪の表情を思い出していた。 シリウスはヨハンが嫌いだ。その理由が何に拠るものなのかは知らないが、彼は誰よりも『嫌い』を身の内に溜め込んでいる。三年前、ユニシスがそう言っていた事を思い出す。 アクアもそれを何となく感じていたし、だからこそ彼女はシリウスを好きになる事が出来なかった。『家族』を嫌う人間に好意を抱く事が、どうしても出来なかったのだ。 (たぶん、シリウスはいまも先生をきらってる) ……だが、どうしてだろう。 「……で、君達はヨハン殿に手紙を出そうとしていたんですか?」 ……ヨハンの名を口にしても、そこに宿る感情には三年前ほどの激しさが見当たらないのだ。 決して消えたわけではない。けれどシリウスのヨハンに対する『嫌い』の質量が三年前よりも随分と減っているような気がするのだ。 実際に命を奪う事は出来なかったが、殺しかけたことで、僅かなりとも気持ちを消化出来たのか。それとも三年という歳月の中で気持ちの整理が出来たのか……理由は分からないが、その変化はアクアにとっては歓迎すべきものだった。 「おぬしには関係なかろう。人のものを盗み見た挙げ句に自分には無関係な事に首を突っ込もうとするなど、無礼千万!恥を知れ!」 「うっわ、そこまで言いますか。葵殿は相変わらず真面目だなぁ」 「ま、それが葵だし……シリウスに特別にきびしくあたるのも、当然でしょ……」 ……いくら『嫌い』が減っても、シリウスに対する態度を改めるつもりはないのだが。 ヨハンに対する感情を別にしても、アクアはシリウスの言動には好感を持てない。それに、ヨハンとマリンを殺しかけた罪だって消えたわけではないのだから。 「しかし君達はヨハン殿の居場所を知っているんですか?彼は誰にも行き先を告げずに姿を消したと聞いたのですが、この情報は誤りだったのかな」 「そ、それも神官さんに聞いたんですか?」 「いや、こっちはリュートからの情報だよ」 「ああ、そういえば前に手紙にそんな事を書いた記憶があるな」 「お、って事は葵殿経由の情報って事になるんだね!」 「ウンメイノ、アカイイトー?」 「何故そこで糸が出てくるのか、さっぱり理解出来ぬのじゃが」 三人で話している時も纏まりに欠けた会話をしていた自覚はあったが、シリウスが加わった事でそれに拍車をかけている気がした。 アクアは小さくため息を吐くと、葵の手の中にある封筒に目線を向ける。 (……先生、どこにいるのかしら) ユニシスはもう帰ってきた。だからヨハンにも帰ってきて欲しい。 (……いっしょに、マリンとブルーの結婚をおいわいしたい) ちゃんと記憶を取り戻せたのだと、ヨハンとユニシス以外の大切な『家族』をちゃんと見つけられたのだと、伝えたい。 「大丈夫ですよ、アクア殿」 「え?……わっ」 呼び声と共に、アクアの眼前にボビーのとぼけた顔が広がる。 「アイツモキット、ソノウチカエッテクルサー!」 (……本当にそうだったらいいんだけどね……) 魔法院への帰り道。今日も今日とて子供達を引き連れながら、アクアはぼんやりとそう思う。だが、きっと期待するだけ無駄というものなのだろう。 結婚式の日取りに合わせるように、ヨハンが帰国する。そんな事、奇跡が起こらない限り実現する筈がない。 (希望はすてないけど……じょうしきてきに考えると、やっぱりね……) 尋ね人を捜し当てる魔法でも研究してみようかしら、などと考えながら、アクアは子供から差し出された飴玉を口に放り込む。 「おーい!アクアー!」 「……ん?」 聞き覚えのある声に振り返れば、紙袋を抱えたユニシスがこちらに駆けてきていた。 「ユニシス……どこかに出かけていたの?」 「ああ、夕飯の材料が足りなくなって、買い出しに来てたんだよ」 なるほど、紙袋からは人参やじゃがいもが顔を覗かせている。 「……って事は、かえってもすぐにはご飯がたべられないのね……」 「まぁ、そういう事になるな」 「おなかへってるのに……」 「むくれるなよ。こっちだってな、毎日毎日飯の支度に掃除洗濯、忙しくって仕方ないんだ。おまけにブルーは毎日問題起こすし……ちょっとくらい夕飯の時間が遅れたからって文句言うなよな」 アクアの弟(或いは兄)であるブルーは、現在魔法院で働いている。恋人であり婚約者であるマリンが勤める神殿で働きたい気持ちもあったらしいが、一番自分の知識が生かせる場所が魔法院だと判断したのだとか。 マリンやアクアが人の世界の常識を教え込んではいるものの、彼の行動は未だに奇天烈なものが多い。神としての力はマリンへの婚約指輪へと封じたが、その身に残った魔力は人では考えられないほどに膨大だ。ふたつの要因が絡み合い、ブルーはほぼ毎日のように問題を起こしていた。その被害を現在最も受けているのが、ユニシスなのである。 「でも、昔とちがって魔法院もひとがふえたじゃない。住み込みではたらいている人もいるし、そういう人達にてつだってもらえる分、家事のじかんもたんしゅくされると思うんだけど」 「人が増えたら増えた分だけ、やる事も多くなるの!手伝いの手が増えたって意味ないよ。食事の支度とか、何人分作らなきゃならないと思ってるんだよ」 「さあ……」 「さあって、お前なあ!」 全く興味がなさそうな顔で首を傾げるアクアに、ユニシスは心底呆れたようだった。ため息を吐き、紙袋を抱え直す。 「……ったく、こんなのが院長だなんて、信じられないよ。ヨハン先生とは雲泥の差だ」 「あら、先生だって家事はかいめつてきだったじゃない……。そのあたりは先生にそっくりだって、じぶんでも思うのだけど……」 「う……まぁ確かにお前の言う通りだけどさ、どうせならもっと他の部分がそっくりになって欲しいね、俺は」 「たとえば?」 「人に院長職務を投げたりしない所とか」 ユニシスの口調は、どことなく皮肉っぽいものだった。 「先生は絶対に、他人に院長としての仕事を任せたりしなかった!」 「そうね」 「そうね、って……俺がどれだけ苦労してるのか分かってるのか、お前は」 じっとりとした目でアクアを見つめるユニシスだが、当の本人は素知らぬ顔だ。 ユニシスは今、半ばアクアに押しつけられる形で魔法院の院長職務をこなしている。議会の仕事が忙しいとか、マリンとブルーの結婚式の準備で忙しいとか、そんな尤もな理由をこじつけて、全てをユニシスに丸投げしているのだ。 しかしながら、ユニシスの目にはアクアは大して忙しそうには見えなかった。それを裏付けるように、彼女のサボり癖を何とかして欲しいという苦情が四六時中神殿から寄せられているのだ。アクアが真面目に仕事をしているとは、ユニシスにはどうしても思えなかった。 「お前に対する苦情を処理するだけで一日が終わる時だってあるんだぞ」 「あら……それはごしゅうしょうさま」 「誰の所為だと思ってるんだよ誰の!研究したいのに全く出来ないこの気持ち、ちょっとは理解しろ!」 「たいへんもうしわけなく思うの……」 「なんだよその棒読みは!全っ然申し訳なく思ってないだろ!」 「そんな事ないわよ……たぶん」 「多分ってなんだ多分ってー!」 漫才なんだか喧嘩なんだか、よく分からないやり取りを続けながら、ふたりは歩き続ける。周りを取り囲む子供達が「いんちょーとユニシス、なかよしだよね」などと話している事にも気付かないままに。 「まぁでも……」 「うん?」 「ここ三年は、やすむひまもないくらいに忙しかったから……この辺りでちょっとだけ休憩させてちょうだい……」 「あ……」 アクアの顔に色濃い疲労が滲んでいる事に気付き、ユニシスは悲しげに顔を歪めた。 ユニシスは知っている。三年前、自分が島を出た後に、『元』星の娘候補達を中心とした新たな政治体制が作られた事を。 アクアは勿論マリンや葵とも手紙のやり取りをしていたが、議会制度が制定された後はそのやり取りが途切れがちになる事が多くなった。暫く返信が途絶えたかと思ったら、思い出したように「遅くなってごめんなさい」といった旨の書き出しで始まる手紙が送られてくるのだ。 ……そう、きっとそれほどまでに忙しかったのだ。特にアクアはヨハンが去った後の魔法院の院長を兼任しているのだし、目が回るほどのハードな日々を送っていたであろう事は、想像に難くない。 ユニシスはそれを知っていた。知っていながらアクアを責めるような言い方をしてしまった自分が、酷く恥ずかしく思える。 「……分かったよ。でも、サボりはなるべく控えろよ」 「それはむり」 「何でだよ!?」 ユニシスはある意味とてもアクアらしい答えに呆れるが、一方でこんなやり取りをとても懐かしく思っていた。 (……本当に帰ってきたんだな、アロランディアに) 幸福な子供時代の終焉を迎えた、懐かしき地へと。 ヨハン以外の人間を威嚇し、永遠に彼とのふたりきりの生活が続く事を夢見ていたあの頃。海に浮かんでいたアクアを見つけ……彼女の手の平に、偽りの星を授けた。それが『今』を終わりに導く行動だとは気付きもせずに。 彼女と共に暮らすようになってから、ユニシスの世界は一変した。 ヨハンの愛情をひとりじめする事が出来なくなった。ヨハンと自分以外の人間の分の食事を作る必要が出来た。アクアが料理をすると台所が酷い有様になるので、掃除をする回数が格段に増えた。余計な仕事が沢山出来て、毎日苛立っていた。 アクア以外の星の娘候補達も変わり者で、まだ性別もない、得体の知れない「アンヘル族」である自分を、ひとりの子供として扱った。ヨハン以外の人間にそんな扱いを受けるのは初めての事で、とても戸惑った事を覚えている。……その戸惑いを、怒りに変えて彼女達にぶつけた事もあった。 けれども彼女達は自分と関わる事をやめなかった。マリンは慌てながら、葵は窘めながら、そしてアクアは真っ向から文句を投げつけながら、ユニシス・ハーシェルという存在を受け入れたのだ。 それはきっと幸福な出会いであり、交流でもあったのだと思う。あの頃のユニシスには気付く事が出来なかったけれど……心を育てる為に必要な糧を、彼女達は与えてくれていた。 (近い内に、マリンと葵にも会いに行かなきゃな) 魔法院の仕事にかかりきりで、あのふたりとは未だに顔を合わせる事が出来ていない。あちらはあちらで忙しいのだろうし、無理はさせたくはないのだが、流石にこれ以上挨拶を延ばすのは嫌だった。 「ねぇ、ユニシス」 「んー?」 「たずねびとを捜しあてる魔法って、つくれるかしら」 「はあ?」 唐突な言葉に、ユニシスは思いっきり眉をひそめた。 アクアは昔から突飛な発言が多い。中でも「夢物語のような魔法を作りたいシリーズ」はユニシスを散々呆れさせてきたものだ。絶品オムライス作成魔法だとか、空からチョコを降らせる魔法だとか、ぬいぐるみを喋らせる魔法だとか。 だが、今回は夢物語と呼ぶには少々現実的で、具体的である。 「どうだろうな……作ろうと思えば作れるかもしれないけど……」 「本当?」 アクアの顔がぱっと輝く。彼女にしては珍しい、はっきりとした表情の変化に、ユニシスは軽い戸惑いを覚えた。 「あ、ああ……けど、かなり難しいと思うぞ」 「そうなの?」 「だって、武術魔法とも治癒魔法とも創造魔法とも違う魔法だぞ?理論的には可能だとは思うけど、実際に作り上げるのは相当根気が要る気がするけど」 「そう……」 アクアは俯き、思索に耽ってしまう。その表情は先ほどまでとは違い、落ち込んでいるように見えた。 「なに、お前誰か捜したい奴でもいるの?」 「うん……」 「誰?そんなに見つかりにくい奴なのか?あ、まさかまだ親戚の『神様』がいるとか……!?」 アクアが『元』神様である事を、ユニシスは半信半疑ではあるが受け入れている。というか、ブルーに宿る規格外の魔力を目の当たりにしてしまったのだ。信じざるを得なかった、という言葉の方が適切かもしれない。 (あんな問題を起こしまくる奴がもうひとり居るなんて、勘弁してくれ〜!) ユニシスの危惧は、アクアが首を横に振った事で無駄になった。 「違う。……先生よ」 「………」 ユニシスは思わず黙り込む。 先生。その呼び名が示す人物は、たったひとりしかいない。 かつての自分の全て。……誰よりも大切だった、たったひとりの人。 「マリンがね、先生にもけっこんしきに出席してもらいたがっているの」 「……うん」 「……わたしも、会いたいし」 「……そっか」 「……ユニシスは、どう?」 「……え?」 鮮やかな紫の瞳が、ユニシスを射抜く。綺麗で神秘的な、アクアの瞳。感情が読みにくいそれを、かつての彼は「気味が悪い」と嫌っていた。 ……自分とヨハン先生の間に割り込んできたアクアを、嫌っていた。 その思いが変化するなんて、永遠に有り得ないと思っていたのに。 「……会いたいよ」 当然だ。会いたいに決まっている。 自分という存在を認めてくれた最初のひと。名字を与えてくれて、この身に眠る魔力の使い方を教えてくれた。そんな人に会いたくないと、どうして思えるのか。 ……例え、かつての彼が間違った事をしていたとしても。 それを自分が阻止し、決定的な別離を果たしたとしても。 彼を好きだと、尊敬しているという気持ちは、決して消し去る事は出来ない。 「……先生、かえってきてくれたらいいのにね」 「……そうだな」 そうしたら、絶対に笑顔で歓迎するのに。 (先生が救ってくれたふたりは、こんな風に成長したよって……感謝するのにな) ユニシスは願う。その日が一日でも早く訪れますように、と。 「ああ、お帰りなさい、ふたりとも」 「………」 「………」 魔法院の玄関の扉を開いた途端、アクアとユニシスは絶句した。 感情表現が大きめのユニシスはともかく、普段無表情でいる事が多いアクアですらも、ぽかりと口を開いて呆気に取られている。無理もない。 「えーと……あの、どうかしましたか?なんだかふたり揃ってすごい顔をしていますが……」 先ほどまで話題に出していた人物。 ……ヨハン・ハーシェルに出迎えられたのだから。 「な、」 最初に声を取り戻したのはユニシスであった。瞳を極限まで見開き、ヨハンに指をさしてあわあわと口を動かしている。 「な、な、な、な、な、」 「………」 『な』以外の言葉を失ってしまったユニシスを横目に、アクアは強く床を蹴り上げた。 「ア、アクアさん!?」 高く跳躍。空中でくるりと一回転。そのまま足を突き出して…… 「うわあ!?」 ……ヨハンの胸を思いっきり蹴ってやった。 ヨハンは衝撃に耐え切れずに後方へと転倒したが、アクアは猫のような身のこなしで着地した。シリウス辺りがこの場に居れば、華麗なフォームだと絶賛しているかもしれない。 「な……っ、アクア!?お前何やってるんだよっ!」 ヨハンをさしていた指を下げ、ユニシスは焦った様子でアクアへと詰め寄った。 「あ、『な』いがいの言葉をしゃべってる……おめでとう?」 「わけの分からない事を祝うなー!おま、お前先生になんて事を……!先生!先生大丈夫ですか!?」 「あ、いたたたた……ひ、酷いですよアクアさん。久しぶりに会ったのに、いきなり跳び蹴りを食らわせるなんて……こ、腰が……」 ユニシスの手を借りながら、ヨハンはゆっくりと立ち上がる。情けなく下がる眉尻に、丸っこい眼鏡。人の良さそうな顔立ちは、まさしく彼らの先生そのもので。 「……なんでいるの?」 「は、はい?」 「なんで先生がこんなところにいるの?わたし、たずねびとを捜しあてる魔法なんて、つくってないのに」 「な、なんですか、尋ね人を捜し当てる魔法って。アクアさんは今、そういう魔法を研究しているんですか?」 困惑に揺れるヨハンの瞳に僅かな知的好奇心の光が宿っている事に、アクアもユニシスも気付いた。どうやら『尋ね人を捜し当てる魔法』に興味を持ったらしかった。 「……先生、かわってないわね……」 「本当になぁ……」 半ば呆れを含んだ言葉に、ヨハンは目を白黒させる。 「……で、本当になんでこんなところにいるの?正直にこたえないと、ふほーしんにゅうざいで逮捕するわよ」 「ふ、不法侵入って、先生は魔法院を作った人なんだぞ!?全然不法侵入じゃないじゃないか!」 「それはそうだけど、今はむかんけいの人間だし」 「あ、あはははは……アクアさんは相変わらず毒舌ですねぇ。事実は事実なんですけど……」 小さく息を吐くと、ヨハンは改めてアクアとユニシスに向き直った。 アクアが最後にヨハンと会った時から三年の時が経過しているのに、彼の容貌はあの頃と変わっているようには見えなかった。老いを感じさせぬその顔に、アクアは少しだけ違和感を覚える。 「……シリウス様に呼ばれたんですよ」 「シ、」 「シリウスゥゥゥゥゥゥゥ!?」 思わぬ名前が出てきた事に、アクアもユニシスも仰天した。シリウスの名前が出てきたという事は、ヨハンは彼と交流を持っていたということになる。意外どころの話ではない。絶対に有り得ない事だと、アクアとユニシスは思う。 「なんで!?先生はあいつと会ってたのか!?」 「い、いえいえ、会ってはいませんよ。アロランディアで会ったのを最後に、私はあの方の姿を見た事はありません」 「じゃあどうやって!?」 「その……少々手紙のやり取りをしていまして……」 「手紙!?文通してたんですか!?」 「う……まぁ、そういう事になりますね。はい」 一体どんな文面の手紙を送りあっていたのか。ユニシスは想像すらも出来なかった。というよりも、想像なんてしたくない。絶対に。 「……わたしには行き先すらもおしえてくれなかったのに……」 アクアがじっとりとした恨みがましい目つきでヨハンを見れば、彼は弱ったような笑みを浮かべた。 「……それについては、本当に申し訳ありません。誰にも居場所を知られたくなかったんですよ」 「……そう」 『家族』にすら居場所を知られたくないほどの決意。それがどれほどのものであったのか、アクアには何となくだけれど理解出来るような気がした。 ……遙か過去。『半分』を置き去りにして人の可能性を信じた自分と、重なる気がした。 「……でも、なんでシリウスが先生を呼んだんだろうな」 「それに関しては私も知らされていなくて、よく分かりません」 「……理由もしらされずに、よく来る気になったわね……」 呆れるアクアに、ヨハンは曖昧な笑みを浮かべて見せる。 「……私も、少しだけ心残りがあったものですから」 「……そ」 アクアは短く言葉を返しただけで、それ以上詮索しようとはしなかった。何も聞かなくても、『心残り』が何であるのか、なんとなく理解出来たから。 (……きっと、魔法院のようすを見たかったんだわ) 彼が蒔いた『魔法』がこの島でどんな風に育ったのか、知りたかったに違いない。魔法に命を賭けていた彼であれば、そんな欲求が生まれるのは当然の事だ。 「……あ!あいつまさか、また先生を殺そうとしてるんじゃ……!」 「……違うでしょ」 青ざめたユニシスが提示した可能性を、アクアはばっさりと切って捨てる。 思い出すだけで腹が立つ今日のシリウスの言動。ボビーが発した一言。ヨハンが今目の前に居るからこそ、腹立たしさは否が応にも増幅される。 「どう考えても、マリンの結婚式にしゅっせきさせるのがもくてきだと思うわよ……」 ……これは、シリウスなりに気を利かせた結果なのだろうか。裏切り、傷つけた相手であるマリンが出席を望んでいる人物を呼び寄せる事が、彼に出来る最大限の祝福だったのだろうか。 (そうするならそうするで、ちゃんと教えてくれれば良かったのに) そうすればこんなに驚く事なんてなかったのに。……心の準備だって、出来たのに。 何も告げなかったシリウスに対するアクアの好感度は、だだ下がりである。 (……好感度なんて、元々あってないようなものだけどねー……) 「え、あいつがそんな気の利いた、」 「け、結婚!?」 ユニシスの声に覆い被さるようにして素っ頓狂な声を上げるヨハン。アクアとユニシスは驚いたように視線を集中させる。 「け、結婚って誰がですか!?」 「いや、だからマリン……」 「ま、間違えました!誰とですか!?」 「わたしの弟。もしくはお兄ちゃん」 「は、はい!?」 これ以上ないほどに丸くなったヨハンの姿に、ユニシスはアクアを小肘で突ついた。 「アクア〜……いきなりそんな事言われても先生に理解出来るわけないだろ。もっと順序よく話せよ」 「じゅんじょよく……?わたし、元かみさまだったの」 「はあ!?」 「もっと理解出来ないだろ!もういい!俺から話す!先生、あのね……」 「じゃましないで、ユニシス。いま先生とはなしているのは、わたしなんだから」 「お前が話したら混乱するって言ってんの!だー!こら先生に詰め寄るな離れろー!」 「か、かみ……おとうと……おにいちゃん……?」 「としよりは理解力がひくいわね……」 「年寄りとか言うなー!」 騒ぎ立てる声に気付いた魔導士達が、様子を見に玄関に集まりはじめる。けれどもアクアもユニシスもヨハンもその事に気付かずに、大きな声で言葉を交わし続ける。アクアとユニシスが競うようにヨハンに声をかけ、ヨハンはただただ困惑した表情を浮かべていた。 それはまるで、父を取り合う兄妹のように。 ――『家族』は、再び集う事が出来たのだ。 |