M.Q.I 13話


「葵!」
 名を呼び、彼女の腕を引き寄せた。この島では滅多に見ない色をした瞳が、驚きに見開かれる。
 直後、先ほどまで葵が立っていた場所を馬車が走り抜けた。どうにか間に合った事に安堵し、アークは深く息を吐き出す。
 が、すぐに表情を改め、大きく口を開いた。
「何やってんだよ!俺が手を出さなけりゃ、お前間違いなく轢かれてたぞ!」
「え、あ……」
 アークの手と走り去る馬車を交互に見つめながら、葵は戸惑っているような声を出す。どうやら状況が理解出来ていないらしい。
 けれどもすぐにその瞳に理解の光が宿った。アクアほどではないものの、頭の回転が早いのは彼女の美点だ。
「す、すまぬ……全く気付いていなかった」
「……ったく、ぼけっとしながら巡回する奴があるかっての。こんなんじゃ何か事件が起きても気付けるかどうか怪しいもんだな」
「ぐ……そ、そのくらいは気付ける!」
 アークの目を真っ直ぐに見つめながらきっぱりと言い切る葵であるが、すぐにその視線が外されてしまう。
「……筈じゃ」
「お前ね……そこは嘘でも言い切ろうぜ。紫紺の階位が泣くぞ」
 肩にかけられた階級章を摘んで見せれば、葵の顔が一瞬だけ歪んだ。
 その反応に、アークは少しだけ動揺してしまう。いつもならば『階位に相応しい働きはしているつもりだ』と怒る所なのに、何故そんな顔をするのか。
「……すまぬ」
 何故そんな事を言うのか。
「……別に、謝られても困るけどさ」
 それ以上言葉が続かない。いつもと違う葵の様子に、アークは苛立ちを覚えていた。
 彼女の様子がおかしいのは、なにも今にはじまった事ではない。ここ最近、騎士院でもぼんやりとしている事が多くなった。
(……多分、一週間くらい前からか)
 毎日毎日葵の事を気にかけ、目で追い、言葉を交わしているアークである。彼女に異変が起こったのは、神殿でソロイに会ってからである事にも気付いていた。
「ソロイ様ってさ、最近どんな仕事してるんだ?」
 問えば葵はびくりと肩を震わせた。分かりやすすぎる反応に、アークの目は自然と据わっていた。
「ど、どんなと聞かれても……私はよく知らぬ」
「へー……毎週毎週会いに行ってた癖に、そんな事も知らないのか」
 毒を込めた言葉に、葵は大きく瞳を見開いた。
「な、何故おぬしがそれを知っておるのじゃ!?」
「何故って、噂になってたから」
 それは半分は本当で半分は嘘だった。
 葵がソロイの元に通っているという噂が流れていたのは本当だが、アークがそれを知ったのは噂が流れるずっと前の事だ。
 毎週毎週何処かへ出かける葵を不審に思い、知り合いに何か知らないかとそれとなく探りを入れたのだ。そこで有益な情報を持っていたのがマリンであり、彼女はあっさりと葵の行き先を口にした。
「葵さんなら、毎週ソロイさんのお部屋に行っているみたいですよ」
 ……と。
 あの時はまさかソロイと葵が付き合い始めたのではないかと焦ったものだが、すぐにそれが間違いだと気付いた。
 仕事で葵と共にソロイの元に赴いた時、ふたりの間に特別な空気など流れていなかったのだ。
 いくら恋人同士であろうと、仕事中にまでそんな空気を持ち込むのは無能がする事だ。ソロイも葵もそういう事は嫌いそうな気がするし、となれば安心するのは早計かもしれない。
 しかし気持ちと実際の行動が乖離するのは、割とよくある事だとアークは思う。特に葵は恋愛に免疫がないし、もし誰かと付き合う事になったのならば、隠し通すのはまず無理に違いなかった。
 殆ど思い込みと願望でこね上げた理屈であるが、とにかくアークは葵とソロイが付き合っている可能性はゼロだと見ている。
 ……しかしいくらゼロであろうと、惚れた女が男の部屋に通っていて平気でいられるほど、アークは人間が出来てはいなかった。何度も何度も問いただそうとしたが、その度に葵に振られた時に告げた言葉を思い出し、なんとか踏み止まっていたのである。
 だが、こうなってしまえば話は別だ。葵がこんなにも落ち込んだ様子を見せているのだ、今追求しなくていつするのか。
「……お前さ、ソロイ様と何かあったのか?」
 回りくどい聞き方をしても、葵は自分が知りたい事など何も答えてはくれないだろう。故に直球を投げてみれば、彼女の顔色がはっきりと変わった。
「な、何もない」
 声は僅かに震え、視線は決してこちらに向けようとはせず、頬には一筋の汗まで流れている。
「ほ、ほれ、そんな事より仕事に戻らぬか。こんな所でサボっていたら、それこそ白煙の階位が泣くぞ」
 追求から逃れたいのが見え見えの言葉であったが、確かに葵の言う通りでもある。今アークはお偉いさんの元へと赴く途中であり、彼女を助けた事で大分時間をロスしてしまった。急がなければ約束の時間に間に合わないかもしれない。
「……分かったよ」
 納得など全くしていないが、アークは渋々そう答えた。途端、葵はあからさまにほっとした表情を見せる。
「……分かりやす」
「ん?何か言ったか?」
「いいや、何も。じゃあな、またぼけーっとして馬車に轢かれるなよ」
「ああ、分かっておる」
 苛立ちを抱えながら、アークは葵に背を向けた。後ろ髪が引かれる思いであったが、それを表に出す事はしない。それがある種の成長であるのか、それともただ素直になれなくなったのか、アークにはよく分からなかった。
(……なにが何もないだ。思いっきり何かあった顔をしてる癖に)
 その言葉を直接ぶつけようと、葵は決して真実を口にしようとしないだろう。それは自分が信用されていないとか、そういう事が理由ではない。例え相手がマリンやアクアであろうと、彼女は何も答えないに違いない。
 葵は表向きは非常に気さくではあるが、他者に対して明確な境界線を引いている部分がある。自分やリュート、マリンやアクアが一番晒け出して欲しいと思っている面を、決して見せようとはしないのだ。
 ……それが彼女の出自に関係している事を、アークは敏感に感じ取っていた。
(……あいつは多分、まだ故郷に帰るつもりでいる)
 何処にあるかも分からぬ日本に帰る事を、未だに切望している。
 故にこの島の人間に心を開かない。もう三年もこの地に住んでいるのに。騎士の位を取り、議会の中核を担う役職に就いてもいるのに。
 ……それでも、彼女の心に在るのは故郷だけなのだ。
 二度目の告白を果たせないのは、その事も大きく関係していた。自分が何を言おうと何をしようと、彼女の心に入り込めない事を理解しているのだ。
 アークは小さく舌打ちをすると、目的地に向けて歩み始めた。


 昼過ぎ。アークは神殿に居た。騎士院からの陳情書を議長に届けに来たのだ。
 本来ならばこんな仕事、白煙の騎士が行うべきものではない。議会制度が発足した時に神殿に足を踏み入れる為の身分・階級制限は撤廃されたのだし、現議長は殊更にそういう事を気にしない人間でもある。誰が訪れようと笑顔で迎え入れてくれるだろう。
 とはいえあちらが気にしないから騎士院側が気にしないかと問われるとそうでもない。騎士院は体面を重んじる部分があるし、かつて神殿に訪れる事が許されていた紫紺以上の階級の者しか向かわせようとしないのだ。
 それに加え、現議長は大らかな人柄とは裏腹に仕事に関しては割合厳しい部分もある。彼女が納得出来ない陳情書は容赦なく却下され、議会にかけられる事なく消えてゆくのだ。
 そこで、アークの出番である。
 アークは議長・副議長・書記の全員とプライベートな付き合いがある。彼女達に気軽な口をきいてソロイに睨まれるなんて事は日常茶飯時であるし、階級も申し分ない。おまけに非常に容姿に秀でており、街の女性達の人気も抜群ときている。婚約者がいるとはいえ、議長も年若い女性である。見目麗しい男と会えて嬉しくない筈はなかろう――それが、お偉方の見解である。
 要するに、彼が出向く事で騎士院への評価が甘くなるかもしれないという期待をもって送り出しているのである。
(ったく……じいさん達の頭はどこまで前時代的なんだよ)
 そんな事で評価を甘くするような人間が議長を勤めているのだとしたら、議会制度なんてものはとっくの昔に崩壊しているだろうに。
 マリンも葵もアクアも、仕事に私情は一切挟まない。アークが出向いた所で陳情書に不備があれば結果は何も変わらないのだ。
「うーん、却下です」
「おとといでなおしてきなさい……」
 ほら、やっぱり。
 予想通りの結果に苦笑しながら、アークは突き返された書類を手に取った。お偉いさんの元へとんぼ返りしたら、八つ当たりに等しい怒りをぶつけられるのだろうな、と思う。元はと言えばマリン達を納得させるだけの陳情書を作る能力があちらにない事が原因だというのに、理不尽にもほどがある。
 能力的にはこちらの方が上であると自負しているし、向こうの階位は自分と同じ白煙だ。なのにあちらの方が年輩という理由だけで常日頃から威張り散らされているので、アークはかなり鬱憤が溜まっていた。
(とっとと引退してくんねーかな、あのじいさん)
 偉くなる。リュートとの別れを経験したアークは、ただひとつその目標を掲げて努力を続けた。
 偉くなれば正義をなせる。自分にはそれだけの才能がある。そう信じ、ひたすらに耐え、切磋琢磨し、史上最年少の白煙の階位を手に入れたのである。
 しかし実際に偉い立場になってみると、それだけで正義がなせるわけではない事を思い知った。むしろ紫紺の時よりもしがらみが多く、思うように動けない。古くさい因習と年功序列がアークを苦しめていた。
(俺があのじいさんくらいの年齢になったら、下の連中が動きやすくなるように取り計らってやる。絶対に)
 そう固く誓うも、それはおそらく気が遠くなるほど未来の話なのだろう。そんなものに思いを馳せるよりも、アークにはマリンとアクアに聞かなければならない事があった。
「なぁ、お前ら」
「はい?なんですか?」
 声をかければ、机の上に散乱していた書類に目を向けていたマリンがこちらを見上げてくれる。アクアも返事こそしなかったが、視線をよこしてくれた。
「葵とソロイ様の間に何かあったって話、聞いてない?」
 はっきりと尋ねれば、マリンの顔に驚きが生まれた。
「ど、どうしてそんな事を聞くんですか?」
 ……知らない、ではなく、どうしてと問い返してくる。しかもその声は焦ったようにどもっているというおまけつき。つまり、マリンは。
「……知ってるわけだな」
「し、知りませんよ!私は何も知りません!」
 慌てたように首を横に振るマリンであるが、白々しいだけだった。洗いざらい話して貰うぞ、という決意を込めながらじりじりとマリンににじり寄ってゆけば、彼女の表情は絶望的なものへと移り変わり、
「……ほんとうに何もしらないわよ、わたしたち」
 冷静極まりないアクアの声に、アークはマリンから顔を離した。
「嘘つけ。だったらどーしてこいつはこんなに動揺してんだよ」
「わたしたち、さっきまで葵とソロイのはなしをしてたから」
 ……その返答に毒気を抜かれた。
 なるほど、それならばマリンが妙な反応を示したのも納得出来る。ふたりきりで語っていた話題を、何も知らない筈のアークが口にした事に驚いただけなのだろう。田舎者だからなのか何なのか、マリンは些細な事で驚くことが多いし、十分にあり得る事だと思った。
 そう考えると、ふたりが何も知らないというのは事実なのかもしれない。その可能性がアークを苛立たせる。
 このふたりが何も知らないのならば、真実を知っている者は葵とソロイ本人だけという事になる。ふたりとも口は固い方だし、頑固者でもある。直接聞き出すのはまず無理だろう。
 ……ふたりの間に何があったのか、自分が知る事は出来ないのだ。
「でも、流石アークさんですよね」
「あ?」
 悔しさに唇を噛み締めていると、マリンの脳天気な声が耳に飛び込んできた。
「葵さんの様子がおかしい事がソロイさんとの間に何かあったからじゃないかって推測出来るなんて、流石アークさんだなって」
 何が流石で何を褒められているのか、アークには理解出来なかった。が、アクアはそうではないようで、同意するようにこくこくと頷いている。
「ほんとね……。一度ふられたのにしつこく思いつづけているだけはあるわ……。いっぽ間違えばストーカーよね……」
「お、お前な……」
 褒めるフリして貶していたのかと眉間に力を込めるが、マリンは必死の形相で首を横に振りはじめた。
「ス、ス、ストーカーなんかじゃありませんよ!アクアさん変な事を言わないで下さーい!」
「べつに変なことじゃないわ。事実よ」
「そ、それはそうかもしれませんけど、素敵じゃないですか!一途にひとりの人を思い続けるなんて!」
「あいてにめいわくがられたらストーカーよ……?どこが素敵なの?」
「そ、それはそうかもしれませんけど……!葵さんは別に迷惑がっていないと思いますよ?」
「あの子はきづいていないだけよ。いろいろな事にね」
 アクアの言葉に、アークは少しだけ瞳を伏せた。
 気付いていない。そうなのだろう。
 葵は、本当に色々な事に気付こうとしない。自分が彼女に向ける思いも、リュートの思いも、マリンやアクアが向ける友情も。
 それが彼女本来の鈍さが原因であれば、まだ救われたのかもしれない。けれど多分、そうではないのだ。
 葵は、全てから目を逸らし続けている。
 ……彼女自身の、心からも。
「ま、冗談はおいておいて、と」
「じょ、冗談だったんですかー!?」
「……はんぶんは本気だったわね」
 むしろ半分冗談が混じっていた事にアークは驚く。知り合ってから三年が経つが、アクアの思考は未だによく分からないままだ。マリンや葵よりもよっぽど付き合いにくい相手だと思う。
「ソロイとの間になにがあったのかはしらないけど、急にふたりがきょりを置きはじめたことはしってるわ。たぶんそのことが原因で、葵のようすがおかしくなったことも」
 アークは無言で続きを促す。それを受けてかアクアはすぐに言葉を繋いだ。
「わたしたちが何をきいても葵はこたえてくれないし、すごく心配してるの」
「……本当に、本当に心配ですよね。私達には解決出来ない事があったのかもしれませんけど、それなら葵さんが思っている事を話してくれるだけでもいいのに……。そうすれば、少しは心が晴れるかもしれないのに」
「……けど、きっと葵はそんなことすらも出来ないんだわ」
 日本という地に魂を縛り付けられた葵には、決して。
「だから、ねぇアーク」
 まだ幼さが残る、アクアの顔。見る人が見れば一発で恋に落ちそうな笑みを浮かべながら、彼女は言った。
「あなたが何とかすればいいんじゃない?」
「……は?」
 何がどうしてそんな言葉を告げられたのか。全く理解出来ず、アークは間抜け面を晒してしまった。
「あなたが何とかしなさい。本当に葵がすきなのなら、それくらいのことはしてみせて」
 見る人が見れば一発で恋に落ちそうな笑み。それが、酷く挑戦的なものである事にアークは気付く。
「それくらいが出来ないおとこに、葵はまかせられないわ」
 アークは暫く、アクアの顔を見つめていた。挑戦的で好戦的な、生意気な子供の笑み。彼女は昔から自分の前ではよくこういう顔を見せた。リュートにはよく懐いていた癖に、自分にはひたすらに反抗的だった。
 ……そして、自分はそんな態度を好意的に思っていた。
 こいつは人を見る目がある。自分よりもリュートを選ぶというのはそういう事で、人を見る目がある人間は信頼に値すると思っていたから。
 アークは唇に薄く笑みを刻む。信頼に値する人間に告げられた言葉は、聞くに値する言葉でもあった。
(……言い方はすっげームカつくけど、こいつの言葉にも一理あるよな)
 それくらいが出来ない男に葵は任せられない。
 それくらいが出来ない男に葵を好きだと言う資格などない。
 複雑な事情を抱え、誰かに頼る事を良しとしない、凛と咲く花のような少女。雨風に晒され、今にも折れそうな茎を支えられない男に、どうして彼女を救えようか。
「お前、やっぱすげー生意気だよな」
「あなたにたいしてはね」
 軽口を叩きながらも、互いの顔から笑みは消えない。マリンはそんなふたりを見ながら、彼らとは違う種類の笑み――苦笑を浮かべたのだった。


 議長の政務室を後にし、アークは神殿の廊下を歩く。通い慣れた場所ではあるが、神殿特有の堅苦しい雰囲気にはいつまで経っても慣れない。星読みが統治していた頃と比べて多少はマシになったものの、張り詰めた緊張感は未だに漂い続けている。脳天気なマリンが頭でもこの有様なのだから、これはもう堅物の中の堅物である銀円の騎士が原因と断じるべきだろう。
 早くこの場所から出ようと、アークは足を動かす速度を上げた。
「……あれ?アーク?」
 背後から耳に飛び込んできた声に、速めたばかりの足をぴたりと止める。その声の主が、今自分が向き合わなければならない人物である事を知っていたから。
 アークはゆっくりと振り返る。扉の前、たった今部屋から出てきたと言いたげな格好でこちらを見つめる彼を見つめながら、名を呼んだ。
「リュート」
 幼馴染でありかつての親友でもあり、過去に自分を裏切った友の名を。
「アーク、こんな所で何してるの?仕事?」
「リュート」
 彼の言葉には答えない。そんな事よりも、言わなければならないことがあったから。伝えなければならないことがあったから。
「俺、お前に負ける気はないから」
 何に、とは言わなかった。そんな事はわざわざ言わなくても明白で、代わりに挑戦的な目つきでリュートを睨む。その唇に笑みを湛えて。
 挑戦的で好戦的な生意気な子供の笑みを湛えながら、宣戦布告した。
 リュートは一瞬、虚を突かれたように目を丸くしていた。
「……なんだ」
 ……薄く開かれた唇に微かな笑みが浮かぶ瞬間を、アークは見逃さなかった。
「ようやく君らしくなってきたじゃないか」
 挑戦的で好戦的な、不敵な笑み。 
 アークとリュートは、今度こそ真正面から互いと戦う事を決めたのだ。


「葵!」
 名を呼べば、彼女は傍目からでも理解出来るほどに身体を震わせた。それが動揺している時の癖である事に、彼女は気付いているのだろうか。
 渋々といった様子で彼女が振り向く。バツの悪そうな表情が乗せられた顔が、しかし次の瞬間には驚きに彩られた。
「葵さん、お久しぶり。二週間ぶりくらいかな?」
「リュート!」
 驚きはすぐさま喜びに取って変わる。そんなにリュートと会えた事が嬉しいのか、と嫉妬の気持ちが芽生えかけるが、すぐさま押し殺す。今日はそんな事で揉めている暇などないのだ。
「おぬしらがふたりで居る所を見るのは久しぶりじゃのぅ。仲直りが出来てほんに良かった!いやめでたい!」
「仲直り……」
「ね……」
 つい先ほど交わしたやり取りを思い出し、アークとリュートは顔を見合わせた。『仲直り』どころか『宣戦布告』した事を知ったら、彼女はどんな反応をするだろうか。
 しかしふたりともそんな思いはおくびにも出さず、笑顔を浮かべた。
「めでたいついでにさ、三人で飯でも行かねぇか?」
「おお、良いのぅ!」
 断られるとは思っていなかったが、こうも簡単に了承を得られるとも思っていなかった。ここ最近の彼女の様子からは考えられないくらいに、明るい顔。
「どうせならリュートの食べたいものを食べに行くのはどうじゃ?久々の帰省なのだし、行きたい店くらいあろう?」
「え、僕?」
「おー、そりゃいいな。あ、どうせならリュートに飯作って貰うってのはどうだ?」
「ええええー。作るって一体何処で……。騎士院の台所を借りるにしても、人が大勢集まってきそうですっごく嫌なんだけど……」
「本人もこう言っておるし、却下じゃな。大体、客人に飯を作らせるなど言語道断。恥を知れ」
「ひっでー!そこまで言うか普通!?」
 じゃれるような言い合いも、一体いつぶりなのか。
「つーかなんでこいつが客人なんだよ!そんな大層な扱いをする必要がどこにあるってんだ!」
「まぁ、僕もそういう扱いをされたら困っちゃうかな。だからって料理をさせられるのは勘弁だけど」
「うーむ、そうか?本人がそう言うのなら、客人扱いはやめよう。……が、アークは反省した方が良いな。本人が言い出したのならばともかく、久方ぶりに会った友人に料理をさせようとする奴がどこにいる」
「ここに」
「私はそういう事が言いたいのではない!」
「あ、あはは……ふたりとも相変わらずだなぁ……」
 アークがふざけた事を言って、葵が激怒し、リュートが困りながらも呆れた様子を見せる。
 それは、三年前に失われた光景だった。アークとリュートはその胸にわだかまりを抱え、僅かな緊張感を漂わせながら、毎日毎日飽きもせずに同じようなやり取りを繰り返していた。
 けれど今、その胸にわだかまりを抱えているのはアークでもリュートでもない。
 日野平葵だ。
 アークやリュートでも、他の誰であろうと近付けさせない深い場所に、彼女だけが触れられる悩みを抱えている。
 アークもリュートも、その事を承知している。その上で何も触れようとしない。
(何を聞いたところで、こいつはどうせ何も答えないだろうからな)
 それは今朝のやり取りで思い知っている事で。
 ……彼女と過ごした年月で思い知っている事で。
 だから今はただ、葵の心を和ませたかった。根本の原因が解決する事はなくとも、そうする事で多少は彼女の気持ちも晴れると信じて。
(ま、機会があれば何があったのか、また聞くけどな)
 何度でも、何度だって。執拗に尋ね続けてやろう。
 そうでもしなければ葵の心には触れられない。彼女の『一番大切な人』の座につく事など、絶対に不可能だと思うから。
(……ライバルは強力だけど)
 それでも、負けるつもりは絶対にない。
 今度こそ、彼女だけは諦めたりしてやらない。あの別れと三年という時を経て、アークとリュートはようやく同じ戦場に立つ事を決断出来たのだ。
 と、アークと言い合いを続けていた葵が、不意に口をつぐんだ。戸惑うように瞳を伏せる彼女に、アークもリュートも気遣わしげな視線を向けた。
「……なんだか」
 薄い唇から紡がれた声は、今にも消え入りそうに小さなものだった。
「時が巻き戻ったようじゃのぅ……」
 ……久々に、満面の笑みが見れた。

もどろ 帰ろ 進も