M.Q.I 15話


 最近、アクアはよく考える事がある。
 今は故郷の島に里帰りしているマリンが告げた言葉。衝撃的な、あの一言を。
「そういえば、聞きました?ユニシスさんが魔法院の女の子に告白されたらしいですよ!」
 ……そんな事、自分は全く知らなかったのに。
 マリンは人当たりが良いし、知らない人の輪にも遠慮なく入っていける。対して自分はというと、必要な人間と必要なコミュニケーションを取れれば十分だという考えを持っているので、『必要な人間』以外の人間には冷たい印象を持たれる事が多い……らしい。マリンがそう言っていた。
 だからマリンが知っていて自分が知らない事、というのは人間関係においては多々あったりする。
 ……だが、それにユニシスが関わっているとなれば話は別だ。
 自分はマリンよりもずっとユニシスと親しいし、彼女が知っていて自分が知らない事なんて何もないと思っていたのに。
 胸の中がもやもやした。それは、自分にとって初めて味わう感覚だった。
 シリウスがマリンにした仕打ちを聞いた時も、若き騎士ふたりの友情が崩壊したと聞いた時も、こんな思いは抱かなかったのに。
 ……なんだか、とても苦しかった。
 結局ユニシスはその告白を断ったのだとまたしてもマリン経由で聞いたのだが、それ以来彼は何故か自分を避けるような態度を取っている。
 つまらない。とてもつまらない。
「ユニシスさん、一体どんな答えを返すんでしょうねぇ」
 ユニシスが告白されたという情報を知ったあの時、マリンはそう言った。それに対し、自分は「さぁね……」と返しただけだった。
 けれど、心の底では別の事を考えていた。

 ……断ればいいのに、と思っていたのだ。

 告白した女の子。その名には覚えがあった。リーシャ。とても謙虚で内気な気配り屋さん。自分に憧れているのだと、真っ赤な顔で言われた事もある。
 彼女が良い子である事を知っていた。あの子が幸せになれないなんて嘘だと思っていた。
 なのに、自分はあの子の不幸を願った。
 その理由が、今でもよく分からないのだ。
「私は、ユニシスはおぬしとくっつくものだと思っていたのだがなぁ」
 葵はそう言った。それに対し、自分は何も言葉を返さなかった。ただ「自分はにぶすぎるほどにぶいくせに、他人のれんあい事情にはきょうみがあるのね……」と思っただけだった。
(だけど、それはわたしも同じなのかしら)
 今の自分も、葵と同じように鈍いのかもしれない。リーシャの不幸を願った自分の気持ちすらも分からないのだから、彼女を笑えないと思った。
(……きもち)
 アクアはそっと自らの胸に触れる。背が伸びるのと同じくらいのスピードで膨らみはじめたその場所は、未だに『洗濯板』のマリンを大いに嘆かせていたりする。別にブルーはそんな事気にしないだろうし、嘆く必要なんて全くないと思うのだが、どうやらそういうわけにもいかないらしい。『オンナノコ』の心というのは複雑だ。
(わたしはほら、『オンナノコ』は通りこして『れでぃー』だし……マリンのきもちはよく分かんないわー……)
 気持ちが宿る場所。それは心臓がある場所と同じなのだそうだ。
 遠い昔、マリンやユニシスやヨハンの祖先を連れてきた金色の少女は、そう言っていた。
 心臓の鼓動は心の音。好きな人を見るとその音が速くなるのが、証拠なのだそうだ。
「……でもわたし、半分をみてもしんぞうのおとは速くならないよ?」
 むっつりと胸を見下ろしながらそう問えば、金色の少女は優しい笑顔を浮かべてくれた。慈愛という言葉を体言したような、そんな笑顔だった。
「それはそうよ。だって貴方には心臓がないでしょう?」
「あ、そっか」
 自分にも半分にも、それから金色の少女にも、身体を動かす為の『器官』というものは全く存在しない。それは、自分達が鳥や魚、それから彼女が連れてきた人間とも違うモノである事の証だった。
 自分の身体がどんな風に動いているのかなんて知らないし、どうやって生まれたかも知らない。知る必要だってない。
 そんな事を知らなくても自分は生きているし、半分だって側に居る。それで良いと思っていた。
「でも、だったらわたしの気持ちはどこにあるのかしら……?」
「それはやっぱり……ここだと思うわ」
 金色の少女の滑やかな手が、そっと胸に触れてきた。くすぐったくて、くすくすと笑い声を上げる。
「ふふ……っ、人間とおなじばしょにあるの……?」
「ええ。だって、彼らと私達は同じ姿をしているもの。だったら気持ちだって同じ場所にあると思わない?」
「そっか……たしかにそうかもしれないね」
 そっと、金色の少女の手に己の手を重ねる。あたたかな、温度。
「……心臓があれば、半分をみたときに鼓動がはやくなるかな」
 だったら良いな、と思う。それは自分が彼の事を好きだと思っている証拠になるのだから。
 けれど金色の少女は困った顔になってしまった。
「……それは、ならないんじゃないかしら」
「え……」
 ならない。どうして。彼女は、自分が半分の事を好いていないと思っているのだろうか。
 困惑が顔に出ていたのだろう、金色の少女は慌てたように言葉を続ける。
「あ、あのね、鼓動が速くなる好きっていうのは、貴方が半分や私を好きだって思う気持ちとは、また別の種類の好きなの」
「……?好きに種類なんてあるの?」
 好きという言葉に意味なんてひとつしかないと思っていたし、ならば種類だってひとつ以外にないと思っていた。けれど金色の少女は頷くのだ。
「ほら、あの子達を見て」
 金色の少女が指さした方向へと顔を向ければ、一組の男女の姿が確認出来た。
 ふたりは仲が良さそうに手を繋ぎあい、女性が男性の肩に頭を預けている。男性は女性の頭を優しげな手つきで撫でてもいた。
 ……何故だろう。その姿を見ていると、胸にあたたかなものが湧き上がってくる。
「あの子達が互いを思う気持ちが、鼓動が速くなる『好き』なのよ」
 彼らの行動は、普段半分にしてあげて、半分がしてくれる事と大した違いはないように見えた。
 けれど、何処かに決定的な違いがある――何故だかそう思えてならなかった。
「……わたしと半分も、いつかあんな風になれるかしら」
「え?」
「わたしたちには心臓はないけれど、それでも、鼓動がはやくなるような『好き』同士に、なれるかしら」
 なれたらいいな、と思う。半分は半分で、ずっと一緒に居た半身で、だから、あの男女のような気持ちを抱ける関係になれたら幸せだと思った。唯一無二の相手と、新たな『好き』を捧げ合う。それは、とても素敵な事だと思った。
 ……そうなれば、金色の少女がやって来て以来ぎくしゃくとしている半分との関係も、少しは元に戻るかもしれない。
(……でも、そうはなれなかった)
 半分はブルーという名を得て、マリンという唯一無二の相手を見つけてしまった。
 別にその事が不満なわけでもないし、ふたりの関係を自分ほど祝福している人間は他にいないと自負してもいる。
 ……ただ、寂しさを覚えるのも本当で。
(ブルーは、わたしよりも先に、心臓のこどうがはやくなる『好き』を知ってしまった)
 自分の方がブルーよりも人間の世界の知識量は多い。けれども、たったひとつの『好き』を知っている彼の事が、本当に羨ましいと思うのだ。
 たったひとつの『好き』。それが恋愛感情である事も知っているのに、自分は未だにその感情を抱いた事がない。
 ヨハンの事は好きだし、尊敬もしている。けれどそれが恋愛感情なのかと問われれば、首を傾げてしまう。
(ユニシスにたいこうして、先生にべたべたひっついたりもしたけど……べつに鼓動がはやくなったりはしなかったものね)
 ブルーとふたりで暮らしていた時のような、ごくごく自然なふれあい。なのに、ユニシスはその現場を目撃する度に怒るのだ。先生に気安く触るな、と。それが面白くて、ついつい繰り返してしまったのだけど。
(……まぁ、それも時間がたつにつれておこられなくなったけど……)
 それに反比例するように、ユニシスと共に過ごす時間が増えていった。共にマリンをいじめたり、町に設置した魔法トラップを見て回ったり、薬草を取りに森に出かけたり、知らない場所へ行ってみたり。
 幼い子供の遊びを、数多くこなしていった。今から見れば微笑ましいだけのそれらは、あの頃の自分達にとっては真剣で大真面目な『冒険』だった。
 ……本当に、楽しかったのだ。
 だからなのかもしれない。ユニシスが告白されたと聞いたあの時、面白くないと思ったのは。
 リーシャの不幸を願ったのは、要するに嫉妬だったのかもしれない。
 ユニシスは告白されて、自分よりも先に『恋愛感情』を知ってしまった。
 自分だってよく告白されるけれど、どの男も真剣味が全くない。ブルーやマリン、アークのような切実さが全く感じられないのだ。だからそれはニセモノの『恋愛感情』に違いなかった。
 なのに、ユニシスは違う。
 リーシャのような謙虚で内気な気配り屋さんは、きっとニセモノの恋愛感情に振り回され、挙げ句の果てに告白なんてしない筈だ。ユニシスに告白したのは、恋心が膨らみに膨らみ、そうしなければ身動きも出来ないほどに成長してしまったからに違いない。
 三年前はあんなに一緒に居たのに。笑い声を上げて、大冒険を繰り広げてきたのに。
 ……ユニシスが、自分の知らない遠い場所へ行ってしまう気がした。
(……べつに、ユニシスはどこにも行かないわ。あいつがアロランディアをでていった時は、ほんとうに遠いばしょにいっちゃったけど……今は、ちゃんとかえってきてるじゃない。魔法院にいるじゃない)
 頭ではそう思うのだ。なのに、心はそうではないと言っている。
(……さみしい、のかしら。ブルーにたいする気持ちと、おなじように)
 それは違う気がした。
 ユニシスがリーシャと付き合う事になったのなら、そう思うのも(癪ではあるが)仕方がないのかもしれない。けれど、自分は彼が彼女の告白を断った事を知っている。ブルーに対するように寂しく思う必要なんてないのだ。  では、この気持ちは一体何なのだろう。
 アクアの思考はいつもそこで止まる。そこから先を考える糸口を、どうしても見つけられない。
 せめてユニシスと話せれば何らかのヒントを得られるかもしれないのに、彼は自分を避けている。何かをした覚えなどないのに、顔を合わせれば決まっておかしな反応をされてしまうのだ。
(……ま、たぶんわたしが先生とたくさん話しているのがきにいらないんだろうけど……)
 ユニシスもまだまだお子様だ。先生に甘えたいのなら素直にそう言えばいいのに、自分に当たるなんて三年前から全く成長していないではないか。
(……わたしは、ユニシスと話したいのにな)
 もっと色々な話がしたい。怒られたり叱られたり理不尽な怒りをぶつけられたり、それに反論したり。魔法の事を話したり、料理の事を話したり、仕事の事を話したりして……笑い合いたいのに。
(わたしは、ユニシスのことがすきだから)

 ……そしてアクアの歩みが止まった。

 すき。好き。ユニシスが好き。
 それは例えばヨハン先生のように。ブルーのように。マリンのように。葵のように。金色の少女のように。
 ……本当に、そうなのだろうか。
 記憶を失くし、己が何者であるのかすら分からなかったあの頃。ブルーの事も金色の少女の事も忘れ、魔法院で星の娘候補として過ごした。
 ヨハンと共に。ユニシスと共に。
 ヨハン先生を取り合うように、ユニシスとはたくさん喧嘩をした。時には罵倒しあい、時には髪を掴み合う大喧嘩に発展した事もあった。ユニシスはヨハン先生との蜜月にいきなり割り入ってきた自分が気に入らなかったのだろうし、自分だってそんな態度を取られたら彼を好く事なんて不可能だった。
 だからこそ、あの時。
 夜半にユニシスが自分の部屋を訪ねてくれた時、嬉しかったのだ。
 自分以外のものを信じるな。世界の全てを敵だと思え。それが絶対にお前の為だ、と。
 そう言って貰えて、嬉しかったのだ。
 だってそれは、自分を心配して告げてくれた、忠告の言葉だ。その内容はどうあれ、彼が自分の事を気にかけてくれた事実が、純粋に嬉しかった。
(いっしょにくらしているんだもの。喧嘩するよりなかよくなった方が、絶対にいいわ)
 ヨハン先生の実験に付き合い、衰弱してゆく自分を、彼はとても心配してくれた。
 ……ユニシスの世界の中心に位置していたヨハン先生の夢を潰えさせ、自分を助ける事を選んでくれた。
(わたしは、あいつの家族になれていたんだとおもった)
 ……けれど今、その言葉に違和感を覚える。
 『家族』という言葉が、いやに空々しく響くのだ。
 何故だろう、と思う。自分はユニシスの事が好きなのに。彼と自分の関係性を、家族以外の別の言葉で言い表したいと思うのだ。
(けど、どんな言葉で?)
 肝心のそれが分からない。
(ともだち?きょうだい?しんゆう?)
 どれも違うと思う。
 友達と呼ぶには距離が近すぎるし、ブルーのような兄弟とは絶対に呼べないと思う。親友、と言うには、何か別の感情が混じっているような……。
(別のかんじょうって、なに?)
 分からなかった。
 アクアはそっと己の胸に手を添える。遠い昔、金色の少女が教えてくれた事。気持ちが宿る、心の在り処。
(わたしは、ユニシスとどうなりたいの?)
 問えども答えは返ってこない。役立たずの心め、と憤慨しながら手を離し――アクアの瞳は、ユニシスの姿を捉えた。
 魔法院の玄関を掃除する彼は、時折周りの人間に何かを叫んでいた。多分、もっと丁寧にやれとか、隅々まで気を配れとか、そんな事を言っているのだろう。
(ユニシスは働きものね……)
 そんな姿は三年前と何も変わっていないのに、外見は随分と変わってしまった。高い背も、広い肩幅も、大きな手の平も、性別を持たなかったあの頃からは考えられないものだ。
 男の人の、身体。
 ユニシス本人は「まだまだ成長期だからまだまだ背は伸びる」と言っていたが、本当だろうか。アクアにはにわかには信じられなかった。
(まるで、わたしとはべつの生き物みたい)
 ユニシスがソロイやアークやヨハンと同じ性別になってしまった事を、アクアは唐突に理解した。してしまった。
 共に子供時代を過ごしたあの頃には、最早永遠に戻る事は出来ないのだろう。そんなのはあの別れの日に思い知っていた筈なのに、強烈な寂しさが胸をついた。
(……?)
 その時、アクアは胸に違和感を覚えた。そっと、その場所へ再び手を添える。
(……あ)

 とくとくとく。

 手の平を押し返すように響く、何かの音。
(……しんぞうの、おと)
 人の身を手に入れた今のアクアには、勿論心臓だって存在している。その鼓動が、随分と早くなっていた。
(……これって)
 瞳は今もユニシスを捉えている。綺麗な髪。綺麗な瞳。綺麗な顔。その全てを。
 ……その全てに、アクアの心臓が反応していた。
 三年前は殆ど毎日一緒に居た。色々な話をして、理不尽な嫉妬を受けながらも、自分は彼と関わる事をやめようとはしなかった。
 ヨハン先生がそれを望んでいたから。
 ……自分が、そうしたかったから。
 彼と話した。喧嘩をした。マリンをいじめた。冒険をした。
 きらめいた日々だった。子供同士の気安さで語り合い、笑い声を上げた。それは、『半分』や『金色の少女』と過ごした時代とは別種の懐かしさをもたらす日々だったのだと思う。
(……たとえば)
 例えば自分は、ユニシス以外の人を好きになる事が出来るのだろうか。
 彼と共に笑い合い、語り合う時に感じる幸せを、他の誰かと共有する事は出来るのだろうか。
 ユニシスが顔を上げる。こちらの視線に気付いたのか、大袈裟に仰け反ってしまう。
(……ほんとう、しつれいしちゃうわ)
 こんな素敵なレディーを前にしてする反応ではないと思う。全くもって不愉快だ。
 ……不愉快だと、思うのに。
 アクアの鼓動はより早さを増してゆく。
 とくとくとく。とくとくとく。
 もう間違いはなかった。金色の少女の言葉が、アクアがユニシスに抱く思いを特定させた。

(わたしは、ユニシスに恋をしているんだわ)

もどろ 帰ろ 進も